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イベントレポート

APB学生演劇祭(インド)参加レポート


演劇祭での『父と暮せば』公演より(写真提供:NSD)

コロナが明けて、久しぶりにライブで行われたAPB(Asia-Pacific Bureau) 学生演劇祭。
アジア太平洋地域の様々な国々/地域から演劇を学ぶ学生たちと先生たちが
インドのデリーにあるNSD(National School of Drama/国立演劇学校)に集結。
それぞれの学校からパフォーマンスやワークショップを持ち寄り、
ディスカッションを交わすなどして演劇の交流を深めました!

LASALLE College of the Arts(シンガポール)のAlvin Chiam先生によるワークショップ

LASALLEと韓国芸術総合大学のチームと

8月21日の夜、デリーに到着した一行を迎えてくれたのはNSDで演劇を学ぶ学生たち。演劇祭期間中は学生たちに全力でサポートしてもらいました!ここからバスでNSDの寮へ向かいます。

8月22日、演劇祭初日★学校までは毎日約1時間をかけてバスで通います。7時半頃から各部屋に朝食が届いて、8時ごろには学校に向けて出発です!(NSDの学生は毎日7時半からトレーニングをしていると聞いて気が引き締まりました!)

桐朋は井上ひさし作『父と暮せば』の公演と大谷賢治郎特任准教授のディバイジングワークショップを持って参加。

正門を入ると、各国の学校の先生やアシスタントの学生の顔写真のほか、公演のポスターがずらり。桐朋の『父と暮せば』のポスターは本学卒業生の阿南さんによるデザインです★

校内に入ると芳しいバラのフラワーシャワーで迎えてくれました。
その後、額に赤い印「ティカ」をもらいます。自然と一体感が生まれるような…。

「ティカ」をつけて開会式を待ちます…

開会式の会場。桐朋からの参加者の席が用意されています。

オープニングのパフォーマンスはNSDの1年生による古典『Ram Vijay』で、ラーマ王子とシータ王女の出会いを描くもの。NSDに入学した学生たちはまず古典を修めて、その後現代劇を学ぶそうです。

2日目の8月15日は日本の終戦記念日ですが、インドは独立記念日。
記念式典を見たり、インド門まで散策に行ったり、色々な特別な体験をしました。

午後は図書館でStudent Meeting。
それぞれの国の歌を歌ったりしゃべったりしながら、初対面同士しだいに打ち解けていきました。

一緒にお茶をしたり学校の秘密基地に連れて行ってもらったり。
夜は上海戯劇学院の作品を観ました。VRで京劇のたのしさを紹介するという作品でした。

この日からワークショップが始まりました。
大谷先生による90名近くの学生たちとディバイジングのワークショップもこの日に行われて、大盛り上がり!

NSDのVivek Emmaneni先生による
ワークショップ

NSDのSantanu Bose先生による
ワークショップ

90歳近くになるレジェンド、
Rita Ganguly先生のレクチャー

インドネシアのInstitut Seni Indonesia PadangpanjangのHendri Jihadul Barkah先生による「現代演劇の基礎としての伝統舞踊ランダイ(Randai)」WS
この衣裳、音が出ます!

インドネシアのパフォーマンス。WSを受けたあとに実際のパフォーマンスを観ると、技術の高さや面白さがよりよくわかります!

香港のHong Kong Academy for Performing ArtsのSze Wan Poon先生による「個人の体験を芸術体験へ」WS。ひとりずつ椅子に座ってhomeを思い浮かべます。

このほかにも学生たちはさまざまなWSに参加し、各学校の作品を観て、ディスカッションを重ねて刺激を与え合うと同時にNSDをはじめ、他校の学生とも親交を深めました。

私たちは夏休み期間を活用してこの演劇祭に参加しましたが、NSDの学生は通常授業期間真っ只中。演劇祭に参加し、参加者をサポートし、自分たちは授業にも出ていました。折よくNSDの学生が演出をする実習授業の公演があり「ぜひ観にきてほしい」と誘ってもらいました。フランツ・カフカの小説『審判』と『変身』を劇化したものでしたが、これが傑作で、劇場の使い方についてもとても参考になりました。公演後は感想大会が行われ、学生たちはますますNSDの学生と仲良くなりました。

桐朋の『父と暮せば』公演は8月19日の14時半から校内のBahumukh Auditoriumで行われました。8月17日には本格的に公演の準備を開始。劇場のスタッフもNSDの学生たちも力強くあたたかいサポートをしてくれました。(日本からは三浦先生が気にかけてくれて、さまざまな提案をしてくれました!)小道具のキャベツはNSDの学生に近所の八百屋さんへ連れて行ってもらって調達。写真のにんじんもまんじゅうも、NSDの学生たちが準備してくれたもので、まんじゅうはなんと手作りです。

調光室の様子。テクニカルトラブルのあったときは、17時半には帰ると言っていた劇場スタッフも19時半まで一緒に最善策を練ってくれて解決。帰り際「明日もそばにいるよ。いつでもお前たちの味方だから」と笑っていたのが優しくてかっこいい。音響はおかむらたかしさん、照明は学生(プランも)。

平台を黒く塗ってくださった塗装スタッフの方々。公演直前には別の塗装スタッフがおもむろに現れて、白い字幕がくっきり見えるようにと壁を黒く塗ってくれた。

頼れるテクニカルチームのボスたちとミーティング。
...NSDには松葉目が何枚かあるのです。

NSDの学生たちにも会場の様子を見に来てもらいました。劇場の使い方についてアドバイスをもらったり、畳や小道具を間近で見て触ってもらったり。仕込み時間もプレシャスです✨

劇場名のBahumukh Auditoriumとは「多面劇場」の意。この写真で見えている空間のほかに、上下にふたつと、手間にもうひとつアクティングエリアがあります。いかようにも使えて、創造意欲が刺激されます。

学校で暮らす半野犬たちとも仲良くなりました。客席側に写っている犬はヘーゼル氏。音響チェックでどんな音がしても、ドライバーで作業をしてもリラックス。私たちもとっても癒されました。このときはまさか、本番にも野犬が乱入する(しかもよいタイミングで)とは思ってもみませんでした…。

そして『父と暮せば』の幕が開きます。
原爆投下から3年後の広島で被爆者として生き残り、生きることや恋することに罪悪感を感じてしまっている23歳の美津江と、原爆で亡くなったはずの父・竹造の物語は海外で、アジアで、インドで、どう受け止められるのかー。

劇場は涙と笑いに包まれて閉幕。公演後のQ&Aコーナーも充実しました。「身近な人のことを思い出してしまって涙が溢れました」「言外の意味が役者の身体から感じられて、泣いたり笑ったり忙しかった!」「おそらくたくさんカットしたのだろうけれども、すばらしい構成。自分の国でも紹介したい戯曲です」など、嬉しい感想をいただきました。核保有国でもあるインドでどのように受け入れられるかなどについては、気になっていましたが、このQ&Aコーナーを通じて、インドという国が核保有をする一方で広島や長崎の原爆の惨禍を知ろうとしていることを知ることもできました。「この作品は、核の脅威を知るためにも役に立つだろう」という言葉にも励まされました。

Q&Aが終わると、客席から演劇祭の参加者たちが学生たちのもとへ詰めかけて、我先にとハグをしたり感想や感謝伝をえたり質問をしたり。幸せなひとときとなりました。

終演後、出演者とスタッフでパシャリ📸

劇場のバラシが終わって閉会式へ。その前に…と友達が自分の楽屋へ呼んでサリーを着付けてくれました。(個人楽屋があることもびっくり!)
ティカのシールはポーチに入れて持ち歩き、いつでもきれいなものを貼れるようにしておくのが身だしなみのひとつのようです。

サリーを着て、字幕などでたくさんお世話になったOwes Kahnさんともパシャリ。

そして閉会式へ。

セレモニーの最後にNSDの学生たちが「ラーマーヤナ」に基づく『Indrajit(インドラジット)』を披露してくれました。
インドの友人たちの舞台姿にすっかり魅了されるとともに、音楽と踊りとユニークな造形に会場は大いに盛り上がりました!
公演の後はダンスパーティが行われ、23時ごろまで踊りました。

最終日は早朝からアグラへバスツアー。
世界遺産のタージマハルを見学してインドの演劇旅を締めくくりました。

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