2010年度 第1号 福田恵子
音楽専攻/福田 恵子教授
CC(コンサート・クリエイト)奮戦記
現代音楽は、一般の方々にはとかく敬遠されがちである。私は専門が作曲なので、必然的にかなりの頻度で新作コンサートに足を運ぶことになるが、時には隙間風が吹きそうなガラガラ状態に出くわすこともある。私自身も敬遠されるような(?)曲を書くのだから切実である。
一般的な新作コンサートは、おおよそ次のようなコンサート形態になっている。新作が演奏された後、客席で聴衆と一緒に自作品を聴いていた作曲者が奏者に促されて立ち上がり、または舞台に上がり、聴衆から拍手を受ける。日本のお客様は寛容で、どんな曲であろうと一応拍手をして下さる。曲の芸術的真価を見抜くということはたやすいことではなくて、現代曲を聴き慣れていても、作者の意図がこちらの理解の外であったり、逆に見え透くほどに安易に感じられる等、消化不良のまま帰途につくことも多い。その様な敬遠されがちの現代音楽も足繁く通っていると、時に共感し感動を覚える新曲に出会えることがある。いつの時代も、名作は何十何百分の一なのだと納得したりする。ただし自らの審美眼がどれほどのものかは問題なのだが。
前書きが長くなったが、精魂を込めて作曲した曲を何とか敬遠されずに聴いて頂く工夫をしようと、仲間と催したコンサートの事を少し書いてみたい。
事の始まりは三年ほど前になる。当時、本学の学生だった三味線の鮎沢京吾、尺八の入江要介、両氏をメインに据え、その他フルート、打楽器などの西洋楽器も加え、邦楽器との垣根を取り払った新作を八名の作曲家が書くことになった。「虚無僧が原点の尺八を、あちこち歩きながら奏でさせたい」という意見が出て、それが可能な会場探しから始まった。
アイデアはいろいろと膨らみ、魅力のある空間を是非とも見付けたいと、都内何十とあるコンサート可能な場所を検索、興味を覚えるいくつかの会場を見て回った。期待を込めて行った所が、丁度ハンドバックのバーゲン会場に使われていて落胆したこともあった。 空間としては面白いが音響がまるでデッドであったり、なかなか「これは」という場所がなく頭を抱えていたところ、桐朋学園大学の講師で慶應義塾大学教授のクナウプ先生のご紹介で、慶應義塾大学日吉キャンパスの研究棟「来往舎」でコンサートが開けることになった。「来往舎」は現代建築の賞を取った雰囲気のある立派な研究棟である。日吉の駅から歩いて二分、美しい銀杏並木に沿って建っていて、建物に入るとガラス張り七階までの巨大な吹き抜けにまず圧倒される。側面のガラスを通して見事な銀杏並木を眺め、夜になるとガラスの天井を透かして月や星が見えたりする。教会の大天井に響くような音響で、見学に行った仲間一同、一目で魅せられてしまった。このようにして幸運な会場と巡り合え、一年後のコンサート開催に向け具体的な準備を開始した。
夢一杯積み込んで出航した世話人代表の私を待っていたのは、並大抵でない苦労だった。 コンサートの主旨としては、各作曲家は三味線、尺八のいずれかが入った編成であり(両方使っても、あるいはソロでも)、書く内容については自由だが、コンサート全体の流れにテーマを設定して曲と曲の間を二人の俳優さんが無言の演技でつないでいく、というものだった。コンサートホールであるなら、客席は勿論のこと、照明、録音機器、譜面台に至る備品が備わっているのだが、「来往舎」では、客席の椅子もレンタル、舞台も組み立てねばならなかった。ステージ・クリエイト専攻や演劇専攻の方々にはお手の物のことなのかもしれないが、小道具や俳優さんの衣装などすべてを調達する手間、複雑になるに従い生じる仲間との意見のくい違いなど、そのような中で本題の曲も書かねばならず、精神的にも疲れてきてアドレナリンが引っ込んでいってしまうような日々だった。ようやく2007年11月に一回目のコンサートを終えることができた。 鮎沢、入江両氏の演奏は素晴らしく、西洋楽器の共演者たちの力演も、作曲者達にとって感動的なものだった。
一回で終わってしまうことは何とも惜しい、ということで、二年後に当たる2009年10月に、同じ演奏者に新たに何名かの若手のホープが加わり、豪華メンバーの奏者による、第二回「来往舎」コンサートが実現した。
二回目のテーマは、新曲とダンスのコラボレーション。出品作9曲がそれぞれに、クラシックバレエ、モダンバレエ、コンテンポラリーダンスなどと組み、女優さんのつなぎの演技を得て多様に紡いでいく趣向を取った。ダンスが加わることにより、視覚に訴える分聴覚が薄まる感があったが、コンサートに足を運んで下さった方々は結構興味を示して下さったように思う。少なくともコックリ居眠っておられる方は見られなかった。失敗も勿論あった。席造りの椅子の並べかたがむずかしく、席によっては、前が見えなくなる、つまりダンサーや奏者が見えない場所ができてしまい、アンケートで数名よりお叱りを受けた。
第三回を催すかどうかは、まだ決まっていない。いずれにしても何か事を成すことに一番重要で必要不可欠な要素は、アイデアを膨らますことも勿論大切だが、まず粘り強い行動と熱いエネルギーを息長く持ち続けることであること、を改めて悟った。今は蓄電期間にすっぽりはまって居心地良く、容易に出られそうもない。
一般的な新作コンサートは、おおよそ次のようなコンサート形態になっている。新作が演奏された後、客席で聴衆と一緒に自作品を聴いていた作曲者が奏者に促されて立ち上がり、または舞台に上がり、聴衆から拍手を受ける。日本のお客様は寛容で、どんな曲であろうと一応拍手をして下さる。曲の芸術的真価を見抜くということはたやすいことではなくて、現代曲を聴き慣れていても、作者の意図がこちらの理解の外であったり、逆に見え透くほどに安易に感じられる等、消化不良のまま帰途につくことも多い。その様な敬遠されがちの現代音楽も足繁く通っていると、時に共感し感動を覚える新曲に出会えることがある。いつの時代も、名作は何十何百分の一なのだと納得したりする。ただし自らの審美眼がどれほどのものかは問題なのだが。
前書きが長くなったが、精魂を込めて作曲した曲を何とか敬遠されずに聴いて頂く工夫をしようと、仲間と催したコンサートの事を少し書いてみたい。
事の始まりは三年ほど前になる。当時、本学の学生だった三味線の鮎沢京吾、尺八の入江要介、両氏をメインに据え、その他フルート、打楽器などの西洋楽器も加え、邦楽器との垣根を取り払った新作を八名の作曲家が書くことになった。「虚無僧が原点の尺八を、あちこち歩きながら奏でさせたい」という意見が出て、それが可能な会場探しから始まった。
アイデアはいろいろと膨らみ、魅力のある空間を是非とも見付けたいと、都内何十とあるコンサート可能な場所を検索、興味を覚えるいくつかの会場を見て回った。期待を込めて行った所が、丁度ハンドバックのバーゲン会場に使われていて落胆したこともあった。 空間としては面白いが音響がまるでデッドであったり、なかなか「これは」という場所がなく頭を抱えていたところ、桐朋学園大学の講師で慶應義塾大学教授のクナウプ先生のご紹介で、慶應義塾大学日吉キャンパスの研究棟「来往舎」でコンサートが開けることになった。「来往舎」は現代建築の賞を取った雰囲気のある立派な研究棟である。日吉の駅から歩いて二分、美しい銀杏並木に沿って建っていて、建物に入るとガラス張り七階までの巨大な吹き抜けにまず圧倒される。側面のガラスを通して見事な銀杏並木を眺め、夜になるとガラスの天井を透かして月や星が見えたりする。教会の大天井に響くような音響で、見学に行った仲間一同、一目で魅せられてしまった。このようにして幸運な会場と巡り合え、一年後のコンサート開催に向け具体的な準備を開始した。
夢一杯積み込んで出航した世話人代表の私を待っていたのは、並大抵でない苦労だった。 コンサートの主旨としては、各作曲家は三味線、尺八のいずれかが入った編成であり(両方使っても、あるいはソロでも)、書く内容については自由だが、コンサート全体の流れにテーマを設定して曲と曲の間を二人の俳優さんが無言の演技でつないでいく、というものだった。コンサートホールであるなら、客席は勿論のこと、照明、録音機器、譜面台に至る備品が備わっているのだが、「来往舎」では、客席の椅子もレンタル、舞台も組み立てねばならなかった。ステージ・クリエイト専攻や演劇専攻の方々にはお手の物のことなのかもしれないが、小道具や俳優さんの衣装などすべてを調達する手間、複雑になるに従い生じる仲間との意見のくい違いなど、そのような中で本題の曲も書かねばならず、精神的にも疲れてきてアドレナリンが引っ込んでいってしまうような日々だった。ようやく2007年11月に一回目のコンサートを終えることができた。 鮎沢、入江両氏の演奏は素晴らしく、西洋楽器の共演者たちの力演も、作曲者達にとって感動的なものだった。
一回で終わってしまうことは何とも惜しい、ということで、二年後に当たる2009年10月に、同じ演奏者に新たに何名かの若手のホープが加わり、豪華メンバーの奏者による、第二回「来往舎」コンサートが実現した。
二回目のテーマは、新曲とダンスのコラボレーション。出品作9曲がそれぞれに、クラシックバレエ、モダンバレエ、コンテンポラリーダンスなどと組み、女優さんのつなぎの演技を得て多様に紡いでいく趣向を取った。ダンスが加わることにより、視覚に訴える分聴覚が薄まる感があったが、コンサートに足を運んで下さった方々は結構興味を示して下さったように思う。少なくともコックリ居眠っておられる方は見られなかった。失敗も勿論あった。席造りの椅子の並べかたがむずかしく、席によっては、前が見えなくなる、つまりダンサーや奏者が見えない場所ができてしまい、アンケートで数名よりお叱りを受けた。
第三回を催すかどうかは、まだ決まっていない。いずれにしても何か事を成すことに一番重要で必要不可欠な要素は、アイデアを膨らますことも勿論大切だが、まず粘り強い行動と熱いエネルギーを息長く持ち続けることであること、を改めて悟った。今は蓄電期間にすっぽりはまって居心地良く、容易に出られそうもない。