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2014年度 第1号 井上由紀


2014年4月21日 月曜日
音楽専攻/井上 由紀(非常勤講師)

音楽の力を信じて

音楽には一体どんな力があるのだろうか。社会の中で、人の心の内で、どんな役割を果たすものなのだろうか。時おり考える。そして、3年前の東日本大震災の後、特に強く自分の中で探るようになった。大震災の直後、被災地に急いで求められたものは様々だ。食料品や衣類・生活用品の援助、医療支援、ライフラインの復旧工事、がれきの撤去作業など、その項目を挙げたら数え切れない。多くの人々が尽力した。

ところが、「音楽」はどうだろう。あのような状況下、一体何ができるのだろう。

福島で生まれ育った私は当時、音楽の無力さ、何もできないでいる自分の無力さを痛感し、情けない気持ちで一杯になった。私が日頃向き合っている音楽で、このようなときに何もできないのだろうか?私は何の役にも立たないのだろうか? しばらく、その問いに対する答えが出ないまま日々を過ごしていたが、あるとき、以前家族が語ったエピソードがふと頭に浮かんだ。

それは、阪神淡路大震災の際、死と背中合わせの恐怖のがれきの下で、助け出されることへの希望を託して、知っている限りのわらべ歌や童謡、唱歌をひたすら歌い続け、数日後に救出された人たちがいた、という話である。萎えていきそうな絶望感に押しつぶされまいと、あらん限りの歌で自らを励まし、奮い立たせ、とうとう助け出されたという。

また、こんな話も聞いたことがある。
時は1939年、ナチスドイツに併合されそうになっていたオランダで、アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団の指揮者であったメンゲルベルクは、バッハのマタイ受難曲の演奏会を行った。これから戦争が激しくなり、多くの人命が消えて亡くなるかもしれないときに、3時間にも及ぶ演奏会を、である。
その演奏の内容は、狂気の世界であった。音楽は曲中のいたるところで大きくうねる。テンポも激しく揺れる。これが本当に、あのバッハの作品なのだろうかと思うほどの演奏であった。戦争という恐怖、明日をも知れない不安定な状況の中で、指揮者とオーケストラの団員は一体化してうねりの音楽を生み出してくる。会場はただならぬ緊張感に包まれ、聴衆の中からすすり泣きの声が聞こえてきた。
演奏する者も聴く者も、未来に希望の光が見えなくなりつつあるときだからこそ、すがる思いで心の支えや安らぎ、希望や勇気の拠りどころを音楽に求めたのだ。

音楽には、目に見えない大きな力がある。その音楽に携わる者の一人として、私も謙虚な気持で日々音楽に向き合っていきたいと思う。桐朋学園芸術短期大学のキャンパスには大きな夢に向かって勉学に励み、日々精進している学生たちがたくさんいる。音楽の道を選んだ彼らに対しては、自分ができることは何か、ということを常に模索し、実際に何らかの役に立つことができるよう、行動していけたらと思う。音楽の力を信じて。

井上 由紀(ソプラノ歌手)プロフィール

国立音楽大学音楽学部声楽科卒業、同大学院音楽研究科声楽専攻(イタリア近代歌曲)修了。その後、国際ロータリー財団奨学生として渡伊。イタリア・ミラノ音楽院にてイタリアオペラ・歌曲を学ぶ。帰国後は古楽の唱法を研究し、現在、ルネサンス・バロック期から現代までの歌曲・宗教曲、日本歌曲、童謡、唱歌などを主なレパートリーとして演奏活動を行っている。2012年、CD「歌の風便り~パイプオルガンの響きに乗せて~」をリリース。桐朋学園芸術短期大学、吉祥女子高等学校非常勤講師。日本・イタリア古楽協会会員。

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