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2012年度 第2号 松井康司


2012年7月11日 水曜日
音楽専攻/松井康司教授(音楽専攻主任)

ラモン・ヴァルター先生を偲んで

本学の元客員教授であられ、私の留学時代の恩師、ラモン・ヴァルター教授が亡くなられた。長年、ドイツ国立フライブルク音楽大学歌曲科の教授職にあられたピアニストで、本学の音楽専攻に海外研修旅行をやらないかと提案された何人かの先生のお一人でもある。留学時代、彼は学生の間で「現代に生きる19世紀人」と言われており、尊敬すべき変わり者だった。蛍光灯の明かりを嫌い、レッスン室はいつも暗く、夕方、相当暗くなるまで明かりはつけなかった。楽譜が見えなくてピアニストが弾けなくなり、ようやく「明かりをつけようか」ということになるのである。しかし、彼にとって部屋を明るくするということは常識的な明るさにすることではなく、スタンド照明を間接的に壁に向けて照らすだけのことなので、楽譜ははっきりとは見えず、おのずとレッスンでは暗譜が求められた。その薄暗いレッスン室の雰囲気はまさしくドイツロマン派の詩の世界であり異次元の世界だった。レッスンが終わり、扉を開けると、突然現実に引き戻される感じになり、不思議な感覚だったのを今でも鮮明に覚えている。これこそ彼が19世紀人と言われる所以である。

また、彼の話すドイツ語には独特な言い回しがあり、それにはドイツ人でさえ戸惑うほどであったので、ドイツ語初級者の私にとって、そのハードルは高く大変なものだった。私が理解していないのがわかると突然不機嫌になるので、私にとっては彼が投げかける言葉一つ一つがプレッシャーになっていた。たとえば、レッスンの最初に、普通の先生ならば「今日は何を歌いますか?」と生徒に聞くのだが、彼の場合は「今日は何を聴かせてくれますか?」という聞き方をするのだ。日本語だとたいした違いではないが、これをドイツ語で聞かれるとすぐには理解できず、今日レッスンしてもらう曲名すら返答することができないということになり、ずいぶんとショックを受けたものである。上級編になると「今日はどんな風に私を楽しませてくれるのかな?」というような言い方にもなるので、このようなレッスン以前の問題での私のストレスは相当なものだった。そんな言い回しをするものだから、日本での彼のレッスンでは通訳泣かせだった。歌手の声の音程が悪く、下がっている時に「変だなぁ。今日はピアノの音が高いぞ」と注意してみたりする。彼なりのユーモアだが、通訳は冷や汗をかきながら、その言葉の意図を聞き直したり大変なのである。

そんな19世紀人であるから、美しい田舎町フライブルクですら都会。そこにはあまり住みたくないのである。自宅はフライブルクから車で約1時間もかかる黒い森の中にある小さな村。最寄りのバス停から30分も山を登ったところにある。車がないと行けないところである。100メートル離れた山合いを歩いている人達の声が聞こえてくるような静かで素敵なところであるがあまりにも遠い。そんな所に住んでいるから、フライブルク音楽大学を退職した後は残念ながらレッスンに通う生徒も少なくなってしまったのだが、研修旅行でフライブルクを訪れた時にこんなことがあった。彼がレッスンをしていることを聞きつけたフライブルク音楽大学の学生が伝説のラモン・ヴァルターのレッスンを聴講させてほしいと頼みに来たのである。それには私もびっくりしたが、彼の業績は口伝てに伝わっているんだなぁと嬉しく思った。彼は最後のドイツ的職人気質を持ったプロフェッサーと言ってよいであろう。彼の死にはひとつの時代の終焉をも感じる。

ラモン語録は山ほどあるが、私は「音楽は踊り、踊りは音楽」という言葉が大好きである。今でも生徒の演奏を聴きながら、レッスン室で跳び跳ねている彼の姿が目に浮かぶ。5月22日死去。享年79歳。
音楽専攻/松井康司教授(声楽)
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