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活躍する先輩たち

演劇専攻卒業生インタビュー 42期 華花さん


「みんなに報告があります。今日から華花は私たちの家族になります。」
――今でもあの日のことを思い出すと胸が熱くなります、この日から私のミュージカル俳優の物語が始まりました――


桐朋を卒業後、数多くのミュージカル作品に出演されている華花さんにインタビューしました。
華花 (Hanaka)
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻42期卒業生。東宝ミュージカルアカデミー(4期生)でミュージカルを本格的に学び、同アドバンスコース修了。オーチャード所属。
主な出演作は『ミス・サイゴン』『レ・ミゼラブル』『メリー・ポピンズ』『マイ・フェア・レディ』『デスノート THE MUSICAL』『GHOST』等。「こしがやの未来を創る魅力宣伝大使」としても活動している。

“大人になった時にミュージカルの舞台に立ちたい”っていうのが漠然とあったんですよね


――演劇に興味を持ったきっかけを教えてください

華花さん :小学校4年生の時に、父が劇団四季の『ライオンキング』を観に行こうと提案してくれて、観劇したことがきっかけです。客席の通路側を象とかキリンが通るんですよ、その迫力にびっくりして。人が演じているということに幼少期の私はものすごく感動しました。“私も象やキリンになりたい”。主役とかではなく、ここを通った人になりたい!みたいな。私の中ではすごく印象的でした。それから舞台の道に進みたいと自分の中で明確になりました。
今は実力がないから時間をかけて“大人になった時にミュージカルの舞台に立ちたい”っていうのが漠然とあったんですよね。それが、小学生のころ。
中学校は演劇部に入ろうとしたのですが、自分の思い描いていた演劇部とかけ離れてしまっていて、ここじゃないと思いました。部活動に迷っていた矢先、ふと窓の外を見たら、柔道着姿の先輩たちが走っていました。「え、かっこいい!」その一心でそこで私は3年間柔道に励みました。
目標にしていた黒帯も取得し、青春時代を駆け抜けました。そこでまた一つきっかけとなったのが、顧問の先生です。顧問の先生の娘さんが、のちに進学する高校のミュージカル部という部活に入っていたのです。私がミュージカルの道に行きたいということは、顧問の先生には伝えていたので、「娘もやっているから文化祭に行ってみたら」と言われ、栃木まで両親と観に行きました。先輩たちの演じている姿に、やはり感動するわけですよ。その後、ミュージカル推薦で歌ってお芝居して、高校に進学しました。
3年間勉強もしながら部活に力を入れる国際情報科に通いました。埼玉から朝5時20分の電車に乗って朝練へ。7時過ぎから毎日発声練習。8時15分からの授業に臨む生活を3年間過ごしました。そこで出会った顧問の先生がまた次の進路へと導いてくださいました。私は本当に出会いに恵まれていて。その顧問の先生が桐朋学園芸術短期大学を紹介してくれたのです。父と試演会を観に行きました。専攻科の方たちの公演だったので、クオリティーの高さに衝撃を受けました。
ミュージカルは、演技が一番大事です。この学校で演技を学びたいと思ったのが志望動機。ダンスも歌もお芝居も学べる“ミュージカルコース”に進もうと思い受験しました。

――巡り合わせがすごいですね。本当に繋がっていっているというか。

華花さん :柔道部に所属したのもご縁で、ここに来るまでに必要なことだったと思います。本当に人に恵まれていて、この後も更に人に恵まれていくことになるのですが。人とのご縁って大事だなと思いますね、本当に。

音程取れてればいいとかじゃなくて、何を感じているか。その感じてる姿に人は感銘を受けるということ


――入学してから桐朋短大の印象は変わりましたか?

華花さん :入学前は、演技の授業をたくさん受けるものだと思っているわけですよ。演劇の歴史、演技の実践、ワークショップ、歌、ダンスの授業ばかりかと思いきや、そうじゃない。想像を遥かに超え、大変でした。
入学前は “自分たちが立つ舞台を一から作ること”を学ぶとは思ってなかったですね。

――印象に残っている先生や授業はありますか?

華花さん :一番印象に残っているのは岡安先生ですね。アンサンブル能力に特化した授業が多かった。私、岡安先生の授業が大好きでした。1人じゃ演劇は出来ないし、周りとのコミュニケーション、みんなが主役っていう岡安先生の授業の創り方に私は心を奪われました。
また、在学中には授業は受けられなかったのですが、後にご一緒する越光先生は学生時代から私のことを気にかけてくださっていたと思います。印象に残るって大事ですよね、それも後の『若草物語』に繋がるのかなって思います。
そして、信太先生と出会ったのは私にとってすごく大きな転機でした。信太先生の授業も、直接受けてはいないのですが、一方的にすごく好きだったので授業を見学したりしていました。信太先生は卒業後の進路である東宝ミュージカルアカデミーも紹介してくださったので、私にとって本当に大切な恩師です。

――当時、1年次は発表の場がなかったんですよね

華花さん :ずっと先輩の舞台の仕込みの手伝いをしていた気がします。必ず手伝っていましたね。それもあって、自分たちが立つときはわくわく感がありました。2年生になってやっと舞台に立てるのが、実技公開試験。私は、特にダンスに苦手意識がありました。覚えるのがものすごく遅くて。
当時は毎日やらなければならない課題も多く、色々な意味でハードな環境の中、学生生活を過ごせたことが財産です。

演劇専攻42期試演会『ヴェローナ物語』より

(作・演出:横山由和)


――後期の試演会『ヴェローナ物語』では悔しい思いもされたのですね。

華花さん :ジュリアン/ロザリオ。この役を演じたかった。一途に希望してオーディションを受けました。キャスト発表は、Aプロから発表されるのですが、私の名前は呼ばれず、Bプロで呼ばれ、悔しい気持ちになりました。どうしても“Aがイメージ通りでBは挑戦枠”みたいな印象が当時はありました。だから悔しくて必死になっていたのを覚えています。Aプロの子もすごく素敵な役者さんだったので、刺激を受けながら2人で役作りをしました。
稽古場では横山先生もですけど、歌唱指導で入られていた信太先生が、演じている私を見て「嘘ついてるでしょ?」と言われることが多かったです。当時は分からないんですよね、「引き出し!」とか言われても。自分の人生を使うということ、今となったらすごく分かるのですが。漠然とした演技じゃ駄目で、自分の経験値を使って感情を体感できないと演技には繋がらないということを先生たちは仰っていたのだと思います。音程取れてればいいとかじゃなくて、何を感じているか。その感じてる姿に人は感銘を受けるということ。当時は必死でしたね。
初めて一つの作品を一般の方に観てもらう緊張感、なにより自分たちで舞台セットを作らなくちゃいけない。やらなきゃいけないことばかりで、お稽古してる時間よりも舞台セット作ってる時間の方が長かったと思います。バイトしてる暇ももちろんなかったですし、2年間演劇一色でしたね。

――同期とは仲が良かったですか?

華花さん :普段は仲が良くても、オーディション後は少し気まずくなりますね(笑)。これはもう仕方ないことですよね。そういう意識も大事。悔しいという気持ちが芽生えなかったら駄目だと思います。自分自身がライバルだと分かっていても、この当時って自分のことより評価されてる周りの子たちに目がいっちゃいますよね。

――試演会を経て卒業公演に入ります

華花さん :『森は生きている』ですよね。女王の役を演じさせていただきました。福田先生に「お前にぴったりの役だ」と言われていました。なので、この役はあまり苦労しなかったように思います(笑)。公演のために髪も金髪にしました。(当時の写真を見て)これこれ、懐かしい。この写真を両親に見せたら喜びます。
福田先生は、おだやかだけどたまに鋭い言葉を投げかけてくる。演劇や脚本に対して熱い思いを持っている方だったので、それに逸れたことをしてしまうとすごく怒っていた印象です。

演劇専攻42期卒業公演『森は生きている』より

(台本・作曲:林光、補訂・演出:福田善之)

華花さん :卒業前、福田先生に「専攻科に残ってもう少しお芝居やらないか」と有難いお言葉をいただいたことを思い出します。福田先生が大好きだったから、結構揺らいだのですが、信太先生に相談したら「やりたいこと違うでしょ、ならば断る勇気も必要だよ」って導いてくださったんですよね。何年か後に桐朋短大の50周年記念公演『若草物語』に出演した際には、福田先生が観に来てくださって、ご飯をご一緒させていただいた時に恩返しが出来たかなと思いました。

NYで『RENT』を観た時、“私今まで何やってたんだろう”と思ったのです。というのも、それまでは全てにおいて“平均点をとろう”と思ってやってきてたんですよね。


――卒業後は信太先生に紹介された東宝ミュージカルアカデミーに行かれたんですね

華花さん :もともと、目指したきっかけが“劇団四季”から始まってるから劇団四季に行くのかなって思われるかもしれないですが、私にとって劇団四季は夢を与えてくれた場所で、ずっと憧れの場所にしておきたかったのです。変わり者ですよね(笑)
全然違うところで頑張ってみたいなと思い、“桐朋から東宝ミュージカルアカデミー”に。その当時倍率も高くて、1期生は宝塚くらい。私たちの時(4期生)もその半分くらいで、生半可な気持ちじゃ入れない。同期も受験した子が多く、合格者も多かった。みんな桐朋で学んだことが繋がったんじゃないかなと思いますね、そう簡単には受からないので。
東宝ミュージカルアカデミーに通い始めて、朝8時から夜7時くらいまで1年間みっちり歌って踊って芝居して。桐朋では舞台裏のお仕事も学びましたが、その時間もすべて実技の授業でした。それもそれで大変でしたね。それこそ難関を通過してきた方々ばかりですし、容姿端麗で、 能力の高い子たちの集まりだった ので、また“自分がこの中の1番にならなくちゃ”と思っていました。桐朋の学生時代よりさらにまた目が鋭くなって、みんなライバルって思っちゃってましたね。その1年が終わるとアドバンスコースという、特待生制度でもう2年アカデミーに残りました。
サポートをたくさん受けてオーディションに臨む日々。初めはたくさんオーディションに落ちました。全然受からないです。そんな時に父が「本物を観に行こう」と言ってくれて、ニューヨークに行きました。たくさんのミュージカルを観劇させてもらったのですが、その中でも『RENT』を観た時、“私今まで何やってたんだろう”と思ったのです。というのも、それまでは全てにおいて“平均点をとろう”と思ってやってきてたんですよね。
『RENT』に出てる方たちは、ずば抜けた歌唱力・演技力の持ち主ばかりでした。私は、歌や演技がずば抜けて上手なわけでもなかったですし、ダンスなんてもっと駄目。だから、帰国したら歌に特化して頑張ってみようと思ったのです。その瞬間から、オーディションに受かるようになりました。

『ミス・サイゴン』舞台写真
(写真提供/東宝演劇部)

最初に受かったのはテーマパークシンガーのお仕事。考え方ひとつでこんなに人生って変わるんだって思いました。
そして商業作品デビュー作の『ミス・サイゴン』。私の役者人生で一番印象に残っている作品でもあります。2012年に新演出で公演することを知りオーディションを受けたのですが、結果は不合格。気合を入れて臨んだオーディションでもあったので正直落ち込みました。でも、半年後に突然電話がかかってきて「明日からの予定、全部空けられますか?ミス・サイゴンの追加オーディションがあるので会場に向かってください」と。全身ぴったりの動きやすい服装で会場入りしたら、出演されるキャストさんの全幕通しの歌稽古真っ最中だったのです。戸惑いながら一人だけはじっこに座って、終わるのを待ちました。
華花さん :歌稽古が終わると、演出家のダレン・ヤップがみんなを集めて「みんなに報告があります。今日から華花は私たちの家族になります。」オーディションではなく、合格発表でした。今でもあの日のことを思い出すと胸が熱くなります、この日から私のミュージカル俳優の物語が始まりました。

――2015年には桐朋短大の50周年記念公演『若草物語』に主役のジョー役で出演されています。

華花さん :確かいきなり電話がかかってきました。信太先生から「今、忙しい?」みたいな。ありがたいですよね。お声掛けいただいたときは役決まってなかったと思います。本読みで、ジョーという役に決まったんです。
音楽専攻の子たちと共同で創作したのもすごく良かったです。この時にタップの振り付けがあって、指導で入られていた堀先生にはその後『メリー・ポピンズ』のオーディションのために個人レッスンしてもらいました。大変お世話になりましたね。
また、せんがわ劇場には初めて立たせてもらったのですが、すごく好みでした。私は基本的にコンパクトな劇場が好みです。近くで鼻をすする音が聞こえたりとか。久しぶりにお客様の近くで演じることができたことも、すごく新鮮でしたね。

桐朋学園芸術短期大学創立50周年事業
『ミュージカル 若草物語』より

(作:福田善之、演出:越光照文)

最前線で活躍している方は、みなさん努力されているからこそ、気が抜けない日々を過ごしていました。


――忙しい中でインプットはどういう形でしていますか?

華花さん :学生時代だとなかなか公演を観ることが出来ない。でも本物を観て刺激を受けた方がいいですよね。先輩を観るのももちろん大事ですけど、私は外に観に行くことをもっと早くやっとけばよかったと思います。でも、お金もないし、インプットはなかなか出来ないですよね。卒業してオーディションに受かるようになってからは、去年の4月まで10年間くらい1日も気を抜けるオフがなかったんです。休みの日や舞台がマチネで終わる日はレッスンに行ってましたし、歌の教えやテーマパークシンガーの仕事、更にはバイトもある。空いた日にはオーディションが入ってくるし、遊んでる暇が全然なくて旅行にも行けなかったです。

『メリー・ポピンズ』ビジュアル
(© Disney / CML)

『メリー・ポピンズ』の時は公演を打つ3年前から2年間オーディションがありました。WSオーディションで、苦手なダンスもあり、さらにタップがすごく重要なので、大変でしたね。私はキャストで一番最後に決まったのですが、その2か月後には稽古が始まりました。最前線で活躍している方は、みなさん努力されているからこそ、気が抜けない日々を過ごしていました。

――他のオーディションも長期間なんですか?

華花さん :基本的には半年くらいありますね、特に海外作品は著作権が向こうにあるじゃないですか。私は日本の作品よりも海外の作品に出たいと思っていたので、海外の演出家に自分を印象付けたかった。舞台は大体3年前に決まっているので、お仕事が3年後まで決まっているのが22の時から。だからいつも不安。現場に出てからいつ切られるか分からないプレッシャー。印象に残れる女優じゃなきゃいけない。常に真摯に取り組むようにしていました。『レ・ミゼラブル』は4クール計8年間出てるんですが、毎回オーディションがあって。以前より自分がインプットできていないと、前の年の自分より前進しないといけないと思いながら舞台に立っていました。

――海外の演出家にはどんな印象を持たれていますか?

華花さん :やっぱり新鮮ですね。まず、海外の方って褒めます。必ずいいところを述べてから、こうしたらもっと良くなるっていう、ポジティブなノート(=ダメ出し)をしてくれますね。あと、すごく簡潔です。全体のノートをしてから、個人のノートに回る。また、時間厳守がすごくて始まりと終わりがきっちりしてるんですよ。

――確かに日本は始まりはきっちりしているけれど、終わりは……

華花さん :そうなんですよ。いつも19時に終わるってなったらどんなにシリアスなシーンをやっていても止めて、「おつかれさまでした~」って。私はアンサンブルを演じさせてもらうことが多かったのですが、ダレン・ヤップがよく言っていたのは、「アンサンブルも人であって、感情があって、君たちが存在するからこそ物語がさらに彩る。君たちがいるからメインキャストがさらに色づくんだ」って。一人一人の存在意義をディスカッションしてくれました。なので、この作品には“私が必要なんだ”ということを稽古中から痛感しながら望むことが出来るという点がすごく良かったなと思います。
学校の公演でもスポットが当たらない子たちにこういうディスカッションがあったら、更に素敵な公演になるのではないか、と思います。

――インプットもアウトプットもしながら10年間休みなく走り続けるって、正直ハードです……

華花さん :そうですね、地方公演もあるので体調管理は大変でした。私の出演する作品は、歌が重視される作品ばかりだったので、のどが大事じゃないですか。だから私生活はあまり喋らないようにしたりだとか、のどの調子が悪い時は家では筆談をしていました。地方だと、その場所その場所で体調が変わります。食事も変わるし、環境も変わる。体調の変化が少しでもある場合は、耳鼻咽喉科に行ってのどの調子を診てもらい薬をもらっています。長期の場合は1ヶ月とか滞在したりするので、ホテルではなくウィークリーを借りてプライベートな時間と分けるようにしていました。

――のどのケアは他にどんなことをされていたんですか?

華花さん :まずは身体を冷やさないこと。いつもルイボスティーとか身体にいい温かい飲み物を持つようにしています。言葉を発する際の声のポジションは、いつも意識して過ごしてますね。あと、声を枯らすということは体が疲れている証拠で、のどは寝ないと治らない。劇場は、舞台を組むとどんどん音を吸っていくじゃないですか。桐朋のお稽古場はすごく響くから、デッドな状態の場所でお芝居をする際、自分の声が通ってないような気がしていつも以上に声を出してしまったり。隣の子の方が声が出ているように感じて負けじと出してしまって声を枯らしてしまったり。やはり“お稽古通りにやる”ということが大切だなと思っています。

――日々ケアをしてオーディションや本番に臨まれてたんですね

華花さん :そうですね。オーディションのアドバイスとしては、私は常に“自分がどういうポジションにいきたいか”ということを考えてオーディションに臨んでいました。2枚目にいたいのか、3枚目にいたいのか、色々あるじゃないですか。自分がどこに当てはまるのかという事を考えながらオーディションに臨みますね。普段から客観的に自身を見てみたりと、自己プロデュースをすることが大事だと思います。

――最近は指導もされているんですね

華花さん :そうです。子どもたちにミュージカル教室で歌の指導もしています。信太先生のように「本当に思ってる?嘘ついちゃだめよ」と、生徒たちによく言っています(笑)
また、地声と裏声の境目の声の出し方から目を背けていると、ミュージカルの世界ではやっていけない。基礎と向き合ってほしいです。

“偽物”ではなく“本物”になるために


――最後に、中高生へのメッセージをお願いします

華花さん :表現の世界に携わり続けるのに一番大切なのは“人間力”だと思います。色々な人生経験が表現の引き出しを増やすことに繋がります。“偽物”ではなく“本物”になるために、笑いたい時は心底笑って、怒りたいときはとんでもなく怒って、泣きたいときは声を出して泣いて。恋愛をして人を好きになったり、失恋したり、時には信じてる人に裏切られて傷ついたり。すべての経験が役者人生の未来を創ると思います。ライバルは自分であり“今日より明日”のハングリー精神をもち、学生生活を楽しんでほしいです。


※本記事中の情報等は、2022年8月1日現在のものです。
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