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活躍する先輩たち

演劇専攻卒業生インタビュー 47期 タニグチエリカさん


誰になんて言われようと、やっぱり自分の心が踊る方へ。

2013年に芸術科演劇専攻を卒業後、現在はダンサーとして活躍するタニグチエリカさんにインタビューしました!
タニグチエリカ/erika torith
ダンサー。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻47期卒業生。

47期演技発表会『マクベス』より

ダンサーになるために演劇を学ぼうと思って


――ダンスを始めるきっかけは?

タニグチさん :3歳からバレエをずっとやってて。バレエってなんか分かるんですよ、選ばれし者だけがやるものだなっていうのが。それが小5くらい。
受験をすることになったのと同時に辞めて、入学した中高一貫校でダンス部に入りました。そこでコンクールのオーディションがあって、それに落とされたんですよ。くそって思って、その時の先輩が行ってたスタジオのWINGってところに行き、そこで出会った先生を見てダンサーになろうと思いました。それが中2かな。

――桐朋を知ったのは?

タニグチさん :親は絶対大学に行けという人で、私が進路で悩みまくってる時にその先生が「ここいいんじゃない?」って持ってきてくれたのが桐朋でした。ダンサーで桐朋出身の方も多くて。ダンサーになるために演劇を学ぼうと思って受験を決めました。演劇を将来やっていく気は全くなく。
受験前に、ゲスナー先生か越光先生のワークショップを受けたのを覚えています。谷原こうすけさんが補助学生をされていて、すごい機敏に動いていて。そこで、桐朋楽しそうって思いました。

(当時の自分の出願書類を見ながら)入学前に宮崎先生に会ってたんだ……、うわ、うざ!「心にストンと落ちてきて」とか書いてる(笑)あー、やばいね、過去の自分。10年前か、でもなんとなく覚えてるわ、変わんないね!変わってない!高3の時の自分……、でもなんかあんまり媚び売ってなくていいね。

そっちのが深く役者の色々を知れそうだと思ったから。ストレートのほうが変態そうだなって。


――入学してからの桐朋の印象を教えてください

タニグチさん :私本番があって入学式でてなくて、1週間後くらいに初めて学校行って観たのが新入生歓迎会。思ったよりキラキラしてるなって思った。ダンサーとしての厚みを出したいって思って入学したから、自分と向き合うための2年間かなって思ってたけど、こういう人たちとも関わっていくんだって思った。演劇って派手なイメージがなかったから、こういう人たちもいるのか……って。
授業ですごい覚えてるのは、越光先生の授業でやった『見よ、飛行機の高く飛べるを』。振り返る動作の切れが良すぎて、面白すぎるって注意されたこと。だからなんか、フィジカルが気持ちを超えちゃってた自分に気づかされた瞬間だったかな。それは後にダンスにもすごく繋がりました。演技発表会では先生の役でした。

八ヶ岳合宿で優勝したのも思い出です。私はずっと存在してるのに「谷口……!」って探される話。他には、震災の話をした班や、エアロビみたいなのをしている班が印象的でした。その年のテーマは、谷川俊太郎のショートショートでした。

――当時は1年後期にコース分けがありました。

タニグチさん :ストレートに行くことは最初から決めてました。そっちのが深く役者の色々を知れそうだと思ったから。ストレートのほうが変態そうだなって。健康的じゃない感じがして選びました。
後期になって、こんなに演出家によって求められることが違うのかってすごく驚いた。その後、1年の年明けに専攻科の修了公演『フィガロの結婚』の出演者オーディションに応募しました。そしたらまさかの歌う役。白いドレスみたいなのを着て結婚式みたいなシーンに出演しました。初めての学外での公演。しかも先輩たちと創る、そこでの先輩たちとの出会いは大きかったです。尊敬する人たちが増えましたね。

専攻科44期修了公演『フィガロの結婚』より


――2年次で印象的だったことは?

タニグチさん :実技公開試験では、アクションやタップ、狂言、マイムなどに参加しました。クラシック唱法では「クラリネットをこわしちゃった」を歌いました。お父さんの役で。なかでも狂言はすごい、ダンスに繋がるなって思いました。重心とか、地面の踏み方とか、たぶん一人だけすごい違う目線で勉強してたと思う。

47期実技公開試験「クラシック唱法」より

タニグチさん :桐朋祭では『夕』。友だちがガチで演出してる舞台って楽しかったな。ダメ出しされるの楽しかった。
試演会は井田組『ダチョウの一撃』(公演情報イベントレポート)。面白かった。それこそ身体の話もしてくれる。綱渡りとか、未だに。1番悔しかったのは「丹田が使えてない」って言われたこと。私ダンサーなのに!って思った覚えがあります。そこからもう、低い姿勢で過ごしてた。あと、ブッフォン、あれ面白かったー!!全部ダンスに繋がったなぁ、まじで。
海外研修ではブルガリアに行きました。ワークショップより、それ以外のところが楽しかった思い出。2年間、レッスンは1回も行きませんでした。怖いよね。よくやったと思うわ。通えるかなと思ったけど、通う時間が全くなかった。無理だったね。

演劇専攻47期試演会『ダチョウの一撃』より


――桐朋のいいところ

タニグチさん :いろんな価値観を持った魅力的な大人に会えるし、アウトプットも沢山させてもらえるところだと思います。

衝撃を受けたのは、三浦先生かな。こんな風に生きたいなって思わせてくれる。自分の中の演劇の手法を広めたいっていう自我がすごく強い先生の集まりだったから、知った上で選択する強さは得られたなと思う。学ぶだけじゃなくて、毎回授業発表があるから、それに向けてみんなと意見を出し合って創っていくっていうことをやらせてもらえたのはすごく良かったです。アウトプットってなかなかしたくても出来ない時もあるから、定期的にあるのは有難いことだなと今しみじみ思います。

今現在、自分のレッスンや振付の仕事で大事にしていることは、この学校で教わったこと。


――卒業後

タニグチさん:卒業したら、ダンサーとして授業とかで身体じゃない部分を温めて育ててたものを、これからは身体に伝えていかなくちゃいけない。2年レッスンに行かず、卒業してやっとレッスンに行けた時、大御所の先生が、レッスン後に一言「行ってよかったね」って言ってくれて、間違ってなかったんだって思えた。セリフは振付だなって思う。

卒業して2年くらいして、ダンスだけで食べていけるようになってから、自分の価値を自分で決めていかなくちゃいけないっていう葛藤がありました。
分岐点となったのは辻本知彦との出会いですね。知さんは、もともと習ってたスタジオにずっといた方で、本当に変な人で、なんて言ったらいいんだ……。3年前くらいに金沢で演劇の振り付けをするってことを知り、金沢まで飛んで行ったら、ダンサーが私しかいなくて、1対1で2週間くらい。本当にしごきにしごかれ、まじで足折って稽古出来なくしようかなって思うくらいしんどかった。
どっかにずっといたりするとその集団の中の良いって言ってもらえるものとか、自分の信じるものとか、誰かに評価してもらえることを大事にしすぎちゃうことがあるけど、その凝り固まっていたものを荒療法で壊していただいた感じ。そこからすごい、こっちから見た自分とか、目線もすごい色んなものを得たし、好きな人たちに良いって言われなくてもいろんな目線をもって自分の本当に好きなものを選んでいけるようになったと思う。

――コロナ禍~現在

タニグチさん :仕事はなにもなくなった。卒業してから1番落ちましたね。初めて孤独としっかり向き合った時期でした。当時孤独についてすごく考えている中で1つ出た答えが、人に対する期待を全てやめること。私から生まれるあなたへの気持ちだけでいい。そこで向こうがどうしようと、私の態度とか気持ちは変えないでいよう、みたいなことを考えるようになったら楽になって。
そんなタイミングで『美人』っていうMVでアーティストのちゃんみなさんに出会いました。みなちゃんと出会って、私が強くいれるおまじないみたいなそれを取っ払って包み込んでくれた。必要なんだよって、全力で表現してくれる人。
タニグチさん :今現在、自分のレッスンや振付の仕事で大事にしていることは、この学校で教わったこと。
なんか、一人一人の身体が違ったり、ダンスって言うと体が柔らかいのが良いとか、筋肉があるのがいいとか、綺麗なのがいいって定義づけされやすいし、それが正解だと思いやすいけど、私の中ではそうじゃなくて。その人の身体の個性とか、硬いからこそできる動きがあったりとか、その人から出るものを活かせることを伝えたい。だからこそ役者さんは素敵なんですよね。くやしいわ!

――中高生へのメッセージをお願いします

タニグチさん :窮屈に感じているかもしれないけれど、世界は広いです。心が踊る方へいけばおのずと素敵な出会いがあります。誰になんて言われようと、やっぱり自分の心が踊る方へ。

タニグチエリカさん情報


※本記事中の情報等は、2023年3月1日現在のものです。
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