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活躍する先輩たち

演劇専攻卒業生インタビュー 44期 根岸裕貴さん


古典は何度も稽古を重ねることによって洗練されていく。継続していくために人間性も鍛えないといけない。そういった点で不器用な僕には向いていた。

2011年に芸術科演劇専攻を卒業後、専攻科に進学。現在は舞踊家として、本学でも日本舞踊の授業で助手をされている根岸裕貴さんにインタビューしました。
根岸裕貴(Yuuki NEGISHI)
1989年生まれ。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻44期卒業生。
19才より藤間藤三郎師、藤間藤朱師に師事。後に藤間笙三郎の名を許される。藤間流師範。
歌舞伎座、国立劇場等に於いて「達陀」「連獅子」「吉野山」等に出演。
桐朋学園芸術短期大学日本舞踊講師助手。劇団ひまわり講師助手。

藤間流大会(2015年6月、歌舞伎座)

第21回藤三会(2017年11月、国立小劇場)

歌は苦手だったので、どんな詩が来ても「上を向いて歩こう」を歌おうと決めてました


――桐朋に入るきっかけを教えてください

根岸さん :中高一貫の男子校を卒業して、なんとなく四年制の大学に入りました。大学生になったんですけど、全然面白くないし、友達もあまりできなかったんですよね。だからずっと駅から大学までのスクールバスに1日中乗っていて。大学の授業も出ず、何もしてなかった。やる事なくてつまんねえなぁと思いながらスクールバスの中でずっと爆笑問題のラジオを聴いていて。ある日、“橋爪功さんが若い頃から天才的な舞台俳優だった”っていう話が出てきた。父が橋爪さん主演のドラマ『京都迷宮案内』をずっと観てたのもあり、“舞台俳優”っていう職業もあるのかと。そこで、演劇を観に行ってみようかなと。円の稽古場公演を観に行きました。そこで観て、自分でも出来るんじゃないのかなって。それが、10月か11月。準備期間が全くなかったので、桐朋の3月受験をすることに。筆記試験ないじゃん!と。男子倍率1倍だからいいなって。親には内緒でした。前の日かな、「受けてみようと思ってます」ってことを伝えたら、びっくりはされましたけど、大学に行ってないことがバレバレだったみたいで、「とりあえず行ってみれば?どうせ落ちるだろ」と。1倍なんだけどなと思いながら。
桐朋の入試は、詩を言ってそのあと歌を歌う。あとダンス。中高でサッカーをやってて、ジムでヨガもやったりしてて、身体は動けたんです。歌は苦手だったのでどんな詩が来ても「上を向いて歩こう」を歌おうと決めてました。それらしくなんとなく繋がるかなと。そしたらちょうどいい詩だったんですね。ダンスは、小さい時から映画『マスク』が好きだったのでそのテーマ曲で、ただひたすら体を動かす。ダンスではないですね。面接では、ゲスナー先生から高校時代の成績がひどいと突っ込まれましたね。でも男子だったので合格しました。
ただそこからは大変で、やっぱり家族は反対しました。ただ僕はこれと決めたら頑固なんで。

ミュージカルコースには達者な子たちがいて、その子たちにどうやったら勝てるのかなと思って


――桐朋に入学して

根岸さん :鈴江俊郎先生の授業を最初に受けました。新聞をみんなに配られて、読めと。ところが、簡単な漢字を読めない子がいたんですね。なんで読めないのって。小学生でも読めるよって。でも、僕も世間知らずでしたね。中学校から私立に行かせていただいて、中高と男子校だったんで、学力だっていろんなレベルの人がいることを知らなかったし、急にほぼ女の子の世界に入れられて、女の子ってどういう生き物かわからなかった。衝撃でした。
ところが僕は初めて課題を渡された時に台詞が覚えられなかったんですね。緊張して、何も出てこなかった。みんなは覚えてきてるんですよね。簡単な漢字を読めなかった子もセリフを覚えてきてるんです。一週間で一人だけセリフ覚えられなくてみんなから冷たい目を浴びましたね。自分に絶望感を覚えました。また、ずっと男子校だったので、思ったことをバンバン言うのが普通だったので、入学当初も男女関係なくみんなに対してきつく当たってたらしいんですよね。口調もやっぱりきつかったのかな。口調はきついくせに実力がなかったら、嫌われますよね。クラスの女の子全員に嫌われてましたね。1か月弱苦しい毎日を過ごしてましたが、ちょっと抜け出せたなと思ったのは、新入生歓迎会でのグループ発表。当時、1年生は必ず何か発表しなくちゃいけなくて、僕は変な女の子の役で笑いをとったんですね。小さいころからドリフターズとか、バカ殿が好きだったので、快感でしたね。

この年の夏に、越光先生の海外公演『ロミオとジュリエット』のオーディションがありました。僕は人より劣っているっていう意識があったので、何にでも挑戦しなくちゃと思い、オーディションに参加しました。今は海外公演のオーディションは結構すごい倍率ですけど、初年度ということもあり人が集まらなかった。それで、何とか通ることが出来ました。それで、夏休みに合同稽古が始まりました。ある程度台本のカットが終わると、4実(第4実習室)にセットを組んで稽古が始まりました。そこで印象に残っているのは越光先生が稽古の合間もずっと作品の資料や台本を読んでいる姿。1つの作品にこんなに思い入れをもってできるってすごいなと。自分もこのぐらいやらないといけないんだと思いましたね。
また設定を和物でやるということで、その時に初めて浴衣を買いました。立ち回りがあったので、アクションの佐藤先生に袴の履き方だったり刀の差し方だったりを教えていただきました。舞踏会のシーンでは、日本舞踊の藤間藤三郎先生がいらして振り付けをしていただきました。藤三郎先生は俳優座養成所のご出身で、所作だけでなく演技の指導もしていただいたのですが、特にバルコニーのシーンでは、主人公の学生がなかなか上手くいかないところを何回も丁寧にやって見せてくれたことが印象に残っています。和服なのに、ヴェローナの風景が見えるようなお芝居を観て、この人はすごいなと思いました。
稽古も順調にいき、校内発表もやりました、じゃあ行きましょうという時にマキューシオ役の子がインフルエンザになってしまった。それで、僕はベンヴォーリオの役だったんですが、越光先生にマキューシオになってくれと出発の1週間前に言われて。立ち回りも覚えないといけない、居合も覚えないといけない。その時に藤三郎先生が駆けつけてくださったんですよね。で、一対一で稽古を見てくださって、それが楽しくて。で、何とか間に合ったところで、出発2日前に今度はジュリエットがインフルエンザになってしまい、参加を断念。幻の海外公演になってしまいました。僕の1年の夏休みはこれで終わってしまいましたね。

1年の後期になると、実技の授業が始まり、藤間先生と再会するわけですよね。1回目の授業で、参加してた1年生が立たされて、「公演が終わってどうして何の報告もないんだ」と怒られたんです。それはそうだよね、先生方は時間を割いてお仕事の合間に来てらっしゃるのに、公演を終えてどうだったか挨拶に行くのが当たり前なのに、先輩たちも含め誰も報告に行ってなかった。公演後に挨拶に行くことを先輩に教えられてないから行かなかったではなく、人として当たり前の事をちゃんとやらないといけない。それは良い演技するよりも大切なんだと気づかされました。

――藤三郎先生のところで日本舞踊を習い始めるきっかけは?

根岸さん :ミュージカルコースには達者な子たちがいて、その子達にどうやったら勝てるのかなと思って。特技がないと俳優として絶対負けると思って。それで藤間先生のところに行って、「日本舞踊を勉強したいんですけども、誰か先生いらっしゃいませんか」と。で、先生が「君、家が遠くないならうちへ来ないかい」と。それで1年の11月ごろから通い始めました。

日本舞踊の授業風景

授業の助手として後輩たちの指導にあたる


――実技公開試験は何にご出演されました?

根岸さん :取れる科目は全部取ってましたね。ただ、ジャズダンスだけは、専攻科の日本舞踊の授業が被っていて、助手として参加していましたので、ジャズダンス以外は全部とってました。
クラシック唱法では「帰れソレント」を歌いましたね。歌ごとに学生で動きを決めなくちゃいけないので、バラの造花を1本ずつ買って、クラスのヒロインみたいな子に渡すというくだらないことを考えて見せたら、松井先生に「きみたちはただ立って歌ってればいいの!余計なことしないで!」と。その時にやりすぎはいけないんだなと学びましたね。
狂言は、善竹十郎先生から海外公演の時から『ロミオとジュリエット』以外にパフォーマンスを披露しなくちゃいけなくて「口真似」を稽古してくださり、すごく楽しかった思い出がありました。狂言の発声も意外と僕の発声に合ってたんですよね。ゲスナー先生が実技公開試験を見終わってから、僕に「君は俳優をやめて古典芸能をしたほうがいい」と言われて、俳優を目指していたので複雑な思いを抱いたことを覚えています。 でも今になって先生の仰ったことが分かりますね。古典は何度も何度も稽古を重ねることによって洗練されていく。継続していくために人間性も鍛えないといけない。そういった点が不器用な僕には向いていた。
あと、マイムですね。服部宣子先生にはすごくお世話になりました。当時の僕は少し自信はつき始めてても、どこか精神的な不安があって周りの目を気になりだすと頭が急に痛くなっちゃうことがありました。先生に相談したら「それはあなたが感受性が強いからよ」って。「それは別に悪いことじゃないのよ。感じることができるんだから、それは自信を持ってやりなさい」っていう風に仰ってくださった。それですごく楽になったのを覚えてます。

実技公開試験は違うクラスや違うコースの人たちと舞台を創れるのもとても楽しかったですね。1年次は教室発表しかなく、舞台に初めて立てる喜びもありました。公園で夜に稽古したり、友達の家に泊まって寝ないでくだらないテレビを観て夜更かしして朝から稽古の毎日。全てが良い思い出です。

2011年度専攻科試演会『わが町』より

(作:ソーントン・ワイルダー、演出:大間知靖子)


――2年後期になると試演会が始まります

根岸さん :試演会・卒業公演に関しては僕にとってすごく意味のあることだったんですね。僕にとってこの2つがなければ、今の自分はいないと思います。そのくらい思い出したくない思い出です。
試演会は、宮崎先生の演出で、自分達で作品を書いて、その中で良い作品を先生が演出するという事でした。正直嫌だな、と思いましたね。1年生の八ヶ岳合宿で、与えられたテーマから自分たちで戯曲を書くことの難しさを痛感してたから。紆余曲折して何とかベースの四部作が決まり稽古が始まるんですけど、チームに分かれちゃったのでみんなで稽古するっていう楽しさもなく、先生に見ていただくのは三日に一回くらい。戯曲も矛盾点が多く、修正しながら戯曲が完成したのは本番3週間前。それから小道具も用意して大道具も作らないといけない。演技も考えないといけない。当時の私には本当に頭一杯でした。演出助手をしていたのでみんなの意見を聞いて、宮崎先生が得意なシェイクスピア作品ならまだ間に合うと思って相談したりもしましたけど、先生は四部作をやると頑なでした。
そこからはもう切り替えるしかなかった。自分も切り替えて、本番まで間に合わせようと。舞台監督の廻さんも駆けつけてくださり、沢山の人に支えてもらってなんとか公演を終えることが出来ました。ただ今でも完成度としてはどうだったのかなと思います。それと自分はどうしてたら良かったのかなと。

そして卒業公演は『純喫茶マツモト』。鈴江先生の演出。この作品もとても辛かった記憶しかないです。作品も演出も正直まったく理解できませんでした。すごくお客様に申し訳ない気持ちで舞台に立っていました。自分がまだ幼かったから理解できなかったのか、先生や共演する同級生ともっとコミュニケーションをとれていれば防げていたのか。今でもたまに思い出すと考えます。

ただ2年生の冬に受けた無名塾のオーディションの時に、仲代達矢さんが「私は仕事頼まれたらどんな作品でも名作にする」っていう話をされていたんです。そのぐらい自分に自信があるんですよね。僕は2つの作品を演出家のせいや作品のせいにしてきたけどそれは駄目なんだなって。自分が出てるんだったら、自分がその作品を良くするぐらいの気持ちでいないと俳優はダメなんだって。舞台に立つ人間はそのぐらいの覚悟を持たなきゃいけないんだって教えていただいて。なのでこの2作品はすごく傷ついたけど、僕の中では意味があるはず。まあ、無名塾落ちちゃったんですけどね。それで、専攻科に行くことになりました。

――専攻科での1年はどうでしたか

根岸さん :すごく良かったですね。同期が3人しかいなくて専攻科2年生も少なかったので、ヒップホップやコンテポラリーダンスの授業が特に楽しかったです。
試演会、修了公演も大間知靖子先生(『わが町 our town』)、福田善之先生(『夢、「オセローの稽古」の』)と本当に丁寧に御指導いただけた事もとても感謝しています。

芸術科2年生の実技公開試験の日本舞踊の授業をお手伝いしたのも印象に残ってます。一年しか変わらないのに生徒たちもいやだろうなと思っていたのが、みんな嫌な顔せずに頑張ってくれたのが嬉しかった。またその年に海外公演の所作指導を藤三郎先生がつかれるのですが、僕を助手として呼んでいただき勉強させていただきました。

卒業後は在学中に演技が一番うまいと思った人の所へ行こうと思っていたのですが、それが藤間藤三郎先生だった。それで、専攻科を1年で辞めて先生の所に行く事を越光先生に報告をしに行きました。その時に越光先生が食事に誘ってくださり、「いろんなことに興味を持つことは悪いことじゃない。だけど25歳までにこれというものを一つ見つけてその道を一生懸命やれよ」って仰ってくださったんですね。それで自分の覚悟が決まったような気がしました。

2011年度専攻科修了公演『夢、「オセローの稽古」の』

(構成・台本・演出:福田善之)

根本的な理論みたいなもの。それに気づくと楽しくて。


――卒業後は?

根岸さん :先輩たちのお稽古を見られるっていうのは本当に幸せでしたね。稽古場で先生が先輩方の踊りをすごく怒るんです。学生時代の僕の目にはとてもうまく見えていて。なんでこんなに怒るんだろうと。
けれど、藤三郎先生の内弟子になって朝から一日稽古場にいて、先生の踊りを拝見して考え方を学んでいくと見えてくるんですよね。根本的な理論みたいなものが。それに気づくととても楽しくて。怒る理由も分かってくるんです。

先日の舞台では、初めて藤三郎先生が若い時の映像を観ながらお稽古したんですよ。映像から自分で振りを覚えてやるんです。でも中々役の心まではうまくできないんですよね。それで先生が見本で若い頃よりは動けないんですが、座りながら踊ってくださったんです。そしたら役の心が見えるんですよね。あぁやっぱり凄いな、先生は。いつでも真っ直ぐに学んできたものを出し惜しみせずに伝えてくださる。しかも私に分かる様に。その大変さをわたしも指導する立場になってとても分かるので。いつか私も、藤三郎先生のような指導者であり舞踊家になれるように励んでいきたいと思っております。

――最後に、中高生へのメッセージをお願いします

根岸さん :学生時代嫌な思い出が多くあった僕は、みなさんにはそういう悔しい思いをあまりしてほしくない。しかし矛盾しますが、その悔しさから学ぶものもある。
だから私が言えるとしたら、たった一回の人生なんだから、どう生きるかを自分で決めてくれたら嬉しいなって。自分で決めたことならきっと乗り越える事ができるから。

根岸裕貴さん出演情報

第5回日本舞踊 未来座=才(SAI)=
日本舞踊『銀河鉄道999』
2022年6月3日(金曜日)~5日(日曜日)国立劇場小劇場

日本舞踊の底力を見せる、未来座「銀河鉄道999」出発(ステージナタリー)

※本記事中の情報等は、2022年6月1日現在のものです。
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