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活躍する先輩たち

演劇専攻卒業生インタビュー 46期 大石晟雄さん&47期 白石花子さん


その人の社会でそこがすべてに思える、でもそれって一瞬だから。自分がどうなっていきたいかとか、極論を言えばどう死にたいかだから。

2013年、2014年にそれぞれ芸術科演劇専攻を卒業し、現在は劇団晴天の主宰と劇団員として活躍する大石晟雄さんと白石花子さん。学生時代から今に至るまでをインタビューしました!
大石晟雄(Akio OISHI)
脚本家、演出家/静岡県出身/桐朋学園芸術短期大学演劇専攻46期卒業生
Age Global Networks所属。王子小劇場プロジェクトディレクター。
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高校時代より地元浜松市に劇団を持つ演出家とともに、冷蔵倉庫を改造した小劇場で劇作・公演を行ったのち、桐朋短大へ進学。卒業後劇団晴天を旗揚げ、以降全公演の脚本、演出を務める。
2015年『朝をつれてこい』で佐藤佐吉賞優秀脚本賞を受賞。
2019年 ルーマニア シビウ国際演劇祭 国際ボランティア参加。
白石花子(Hanako SHIRAISHI)
俳優/東京都出身/桐朋学園芸術短期大学演劇専攻47期卒業生
在学中より蜷川幸雄主宰さいたまネクストシアター在籍。退団後2015年~2020年3月まで劇団民藝に在籍。小劇場など出演多数。
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2015年王子小劇場佐藤佐吉優秀助演女優賞受賞。
主な出演作に『わたしを離さないで』(さいたま芸術劇場/演出:蜷川幸雄)、『ゾーヤペーリツのアパート』(東京芸術劇場/演出:黒澤世莉[時間堂])、『KUDAN』(座高円寺2/演出:大西弘記[TOKYOハンバーグ])、『負傷者16人』(演出:西部守[劇団民藝])など。
劇団晴天
気が付かないふりをしたい現実から目を逸らさず、辟易しない優しさを誠実に描く。
無自覚な心の傷に沁みる、 明日もがんばろうと思える演劇。
シンプルな会話と本当の音がする物語で、センスでもアートでもシュールでもない、次世代のスタンダードを目指す。
2015年佐藤佐吉賞優秀脚本賞、2017佐藤佐吉賞主演女優賞(鈴木彩乃)を受賞。

東京演劇大学連盟 演劇系大学共同制作Vol.1『わが町』より

楽しいだけじゃお金ってもらえないから、どこかに所属するって決めた時に、劇団ではなく一から学ぼうと思ってここに決めた


――演劇を目指すきっかけは?

大石さん :高校の時演劇部でした。高校が進学校だったのですが、途中でいいやって思って桐朋を目指すことにして。演劇部を引退してから、地元の冷蔵倉庫を改造して小劇場にしている方と知り合って劇作をして、そこで桐朋ってところがあるよって言われて。その時私は大学に4年間行くことが、高校3年間でも長いのにって気持ちになった。短大だし、いいかなとか。進路の幅をもう演劇に絞っちゃおうかって思いましたね。
白石さん :私は両親が俳優で、桐朋の卒業生だから。桐朋ベイビーだから、私。
大石さん :サラブレッド(笑)
白石さん :だから、必然的にこうなったけど(笑)。演劇は生まれた時からそこにあるものだった。

――桐朋に初めて行った時のこと覚えてますか?

大石さん :多分入試だった気がするなあ。
白石さん :私も入試。

――え!入試で初めて!?

大石さん :見学には来てない気がする……けど、覚えてないです。すみません。
白石さん :私も見学来てない。

――何入試ですか?

白石さん :私3年遅れて入ってるから、それで受けられるやつ。一般かな?
大石さん :私は自己推薦でした。評定が悪すぎて。

――進学校あるあるですね。

大石さん :ダンスとか応援とかしてね。

――入学するまでの桐朋の印象ってありますか?

白石さん :ゼロ。
大石さん :その時は考えてたんだろうけど、不安はあんまりなかったのでそんなに印象を調べようという気になってなくて。
白石さん :私もあんまり覚えてないけど、なんかね母親に言われたのよ、「(母の)劇団に入るか桐朋に入るかどっちかにしろ」って。その前に私フリーでやってて、その時に多大なノルマを背負うことになったの。楽しいだけじゃお金ってもらえないから、どこかに所属するって決めた時に、劇団ではなく一から学ぼうと思ってここに決めた。それで、ノルマを払い終わってここに来たんだけど、印象とか不安とかっていうより、すべて吸い取ってやるって気持ちだった。
大石さん :在学中花子すごい怖かったもん。
白石さん :ギラギラしてたでしょ。学生の時一言も喋ったことないね。

――入学して一発目の演技発表会は担当誰でした?

大石さん :僕は越光先生の『見よ、飛行機の高く飛べるを』とゲスナー先生の『赤色エレジー』
白石さん :私は宮崎先生の『オセロー』と鈴江先生の自分で選んだやつ、本谷有希子の何かをやった気がする。

演劇専攻46期卒業公演『ひめゆりの塔』より


――在学中印象に残っていることは?

大石さん :卒業公演『ひめゆりの塔』(公演情報イベントレポート)で死にゆく兵士に主人公が語りかけるシーンで、その時に下から見る照明がキラキラしていてきれいだなぁって思ったっていう。その時まで、演技というものをはき違えていたんですよね。私は秋の試演会『パンドラの鐘』(公演情報イベントレポート)の時に客席のしらけた反応を受けてその場で変えた演技がお客さんにウケて宮崎先生に褒められた、みたいなことがあって。その時に演技のうまい同期と話してて、その子はそういうことが出来ないと言われて驚いて。でもその時の俺は演技って嘘なんだから別に何でもできるでしょって気持ちだったんですよ。
白石さん :それ、在学中に言われてたら喧嘩だよ。
大石さん :卒業公演で死んでいく時、なんか一気に色々なことが頭を巡ったんですけど……。在学中の俺は、そもそもあまり褒められた学生ではなくて、作もやってて、演出もすこしずつ理解していって、作・演・俳優どこにおいても俺はこれが100じゃないからって言い訳しながら生きてた学生だったと思う。
白石さん :やだ~、嫌な奴じゃん。
大石さん :いや学生時代は、頑張ってやってたとこももちろんあるし、それしかできなかったんだろうと思う。けど心のどこかでそういう気持ちがあったんじゃないかと。でもどちらかというと、そもそも早めに俳優に見切りをつけていたんじゃないかなという気持ちですかね。それが卒業公演で、あぁ、そうですか、そういうことですか、と。
白石さん :それ、あれ?消えゆく照明の中で思ったの?
大石さん :いや、瞬間ていうわけじゃないよ。ひめゆりって簡単にできる作品じゃないから、みんなの取り組みとかを見ながら、自分も頑張りながら、逆じゃん演技って「嘘」じゃないじゃん、って気持ちになって。卒業で気づくかぁって思ったし、今までを後悔したかな。

演劇専攻46期卒業公演『ひめゆりの塔』より

演劇専攻46期卒業公演『ひめゆりの塔』より


――花ちゃんはどうですか?

白石さん :入学して初めてのチーム作業が、鈴江先生の課題で、発表で台詞をかんだり飛んだりしたらそこで終了になる、みたいな。で、そのとちった一人のために連帯責任でジャンピングスクワットをしなきゃいけないってのがあって。「こいつ一人のせいでそれが止まるんだ、でもそれは連帯責任だ!」って言われたのね。いや、意味わかんないと思って。私のチームは割と我が強い人が集まっていて、私は誰よりもセリフを覚えるのが早いから、一番最初に覚えているんだけど、必ず本番でミスる人がいるの。それで、1回目の時に「花ちゃんがバイトで稽古にあんまり参加できないからだ」って言われたのね。最初は「ごめんね~」って言ったの。若いからと思って。で、2回目も同じ人がとちったのね。で、3回で終わりなの発表って。その時にみんながすごい深刻な顔して食堂に私のこと呼び出して、「今回花ちゃんは降りてもらおうと思ってる」て言われた時に、食堂で「いや、覚えらんないのお前だかんな?」つって。おいガキども、みたいな。「卒業したら、働きながら台詞覚えんだぞ。それ出来んのか?それ今できなかったら一緒できねぇんだぞ」っていって大喧嘩。何人か女の子は泣く、で、鈴江先生の呼び出し。「分かるんやけどぉ、分かるんやけどな、」って。だから「私降ろされるんですか!」って言ったら「降ろさん」って言ってくれたんだけど、すごい険悪な中でやって。でもそのぶつかり合い?、本心でめちゃめちゃ喋って。綺麗ごとでは出来ないじゃない、うちの学校ってやっぱり。社会に出た時に本当になにもないからさ。それくらいのガッツ出さないとやっていけないって思ってたから、そういうぶつかり合いがあったことによってなんかめちゃくちゃ仲良くなったんだよね(笑)もうね、心の友。

――晟雄さんが脚本を書き始めたのはいつからですか?

大石さん :中学の選択国語で。

――実は中学からなんですね!

大石さん :演劇のきっかけは小分けにちょっとずつあって。中学の時に地元の夏祭りで、中高生のグループがやる演劇に兄が参加してて。よさそうだなって思って中学生になってから参加してたんですよ。そこから、高校演劇やって、地元の小劇場やって、物語も好きだったのでゲームの二次創作もしたりして、ってちょっとずつ要素があって、最終的に演劇部の公演で納得のいかない負け方をして、いろいろ考えた結果、演劇をすることにした。

――花ちゃんは東京芸術劇場で行われた東京演劇大学連盟(※)の初演に参加されてますね。

(※)東京演劇大学連盟(通称・演大連):演劇の実技教育を担う都内の5大学(桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修/玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科/多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科/桐朋学園芸術短期大学演劇専攻/日本大学芸術学部演劇学科)が集い、2013年春に設立した連盟。共同制作公演や、演劇実技教育の交流・共同研究などを実施している。
白石さん :当時GATS(現WTEA)っていう海外公演があったじゃない。学校の中のステータスって、花形はGATSだったの。それは今までGATSしかなかったから。2年次に演劇大学連盟っていうものが出来て、どう考えても見る人間が広い方が得じゃね?って思って。卒業した後のことを考えていた気がします。しかもその時の演出が蜷川さんの演助やってた人だったから、これはチャンスだと。“見るかもしれないよ?蜷川幸雄”って思って、GATSのオーディションを受けずに演大連だけ受けたの。結果もぎ取った。
大石さん :え?それでネクストシアターに?
白石さん :そうだよ。それがきっかけだよ。
大石さん :もぎ取り続けてるな……

――演大連はどんな印象でした?

白石さん :5つの大学それぞれめちゃめちゃカラーが違う。だから、最初ギスギスすんのかなって思ったけど、意外と良いところを認め合いながらできた気がしますね。桐朋ってどっちかというと堅いというか、はっきりやってくスタイルというか。ベースが新劇だからね。ただ、桜美林とかだと青年団とかの系列だから、やっぱり簡単に背中を向けるし、聞こえるそれ?みたいな声で芝居するし。だからその中間をうまくとった演出家もすごかったし、それを小さいからダメ、大きいからダメとかではなく、中間を役者たちが見つけられた。なんといっても芸術劇場立てるからね。それすごいいいよね。学生のうちに立てるって。

――そこから、卒業公演を経てネクストシアターに。

白石さん :試演会を蹴ってネクストのオーディションを受けたの。ネクストのオーディションの時に、卒業公演の時期にネクストの公演があったのね、だから桐朋生は必然的にそれに出られないから応募条件から外れちゃうんだけど、私、オーディションの時間すごくもらえたんだよね。で、やりきった後に、ディスカッションしてる中で、その話になって「出られないです」って言ったら、「じゃ、駄目じゃん」って蜷川さんに言われたの覚えてる。で、合格発表の時に連絡来なくて。でも4日後に、補欠で通ったの。で、補欠で通った理由が、演大連を制作部の何人かと演出部の何人かが観に来てて、推してくれたからだった。すごい奇跡だと思った。狙い通りだった。

東京演劇大学連盟 演劇系大学共同制作Vol.1『わが町』より

私も自覚してたの、これめっちゃいいって。でも、これはお前の力もあるかもしれないけれど、あの本を書いた彼に才能があるからだって言われて。


――ネクストはどうでした?

白石さん :なんか、本当に嫌だった(笑)

――一転(笑)

白石さん :入ってから思ったんですけど、私蜷川さんの芝居、生で観たことがなかったの(笑)。何がいいか全然分からなかったの。観たことはないし、魅力は分からないけど、そこ行っときゃ何とかなるだろうっていう気持ちで行って。やっぱり、周りは大好きなんだよね、蜷川さんが。当たり前じゃん、劇団なんだから。私どうしてもその熱量についていけなかったんですよ。天下のすごい人だけど、人じゃん。彼の絶対に乗れなかった。あの世界って紙っぺら一枚で本番中でも役を変えられるのよ。ネクストの子たちは本番の1週間前にキャスティングされるのね、それまではずっと全役を覚えて転がされるわけよ。だから、全員パンフレットの写真撮るし、全員分の衣装が用意されてるんだけど、女の子が13人いて、本番に出られるのは9人っていう。そうすると、13人の中に先輩後輩が存在するじゃん。だから、必然的に5人くらいは決まってるわけよ。残りの4人の枠の中で回されてるのはここだからって計算して衣裳着て端で待ってるわけよ。けど本番近づくと大体固定されるから試してもらえなくなるの。ああもうダメかなって思ってて、しかも私は卒業公演でネクスト公演には出てなかったからほとんど舞台に上げてもらえることもなかったんだけど。稽古中に一人の女の子が蜷川さんに何か言われて、「ごめんなさい」って言ったの。けど、ごめんなさいの“なさい”のところで雑音が入って“ごめん”ってため口を叩いたってぶちぎれられちゃったのよ。私更衣室にいたんだけれど、すごい怒号が聞こえてきて、「白石!」って呼ばれて、気づいたらその子が外されてて。私衣裳着てたからそのまま舞台行ってそのまま東京・名古屋・大阪に行きました。それが、『私を離さないで』ですね。
大石さん :うわぁ……
白石さん :下痢が止まりませんでした(笑)。埼玉の公演はテンションで何とかやりきったんだけれど、1週間空いて大阪行った時に下痢が止まらなくなっちゃったの。ストレスで。でも、食欲が止まらないの。おかしくなっちゃってて。そのあと辞めました。

――それで、お母様も所属している劇団民藝に入られるんですね。

白石さん :私、その時謙虚さのかけらもない時代だったんですね。私がトップくらいの。全員蹴散らすくらいの。上にも下にも敬意がない。母親が見てられないと思ったんだろうね、「ちょっと圧をかけられる世界に行って来い」と。だから、最初の方は大変でしたね。だいぶ好きにやらせてもらったけど、その中でも、母親が劇団内にいるという圧というか、潰されにかかりましたから。

――何を学びました?

白石さん :芝居作りの基礎みたいなものは学べましたね。良くも悪くも決まってるから、見せ方とか。古典的だけれども、昔ながらのやり方というか、培ってきたものがあるわけだから、やっぱり見せ方をすごく学んだ気がしますね。あと、劇場が大きいから、自分の感情とは別にして動くことを学んだ。自分一人の気持ちだけでは表現ではないっていうのを、学んだ場所な気がしますね。ださ!って思ってたけど、ただ、これが作為的に出来る出来ないはすごく大きな武器になるって思った。

――劇団晴天のはじまりは?

大石さん :劇団晴天は学生同士で始めたんですよ。在学中にせんがわ劇場も次年度3本分押さえてて、結局3本目は解散してしまい出来なかったんだけど。卒業するとき旗揚げしました。

――あれ、在学中も活動されてませんでしたっけ?

大石さん :在学中は「にこうえ企画」という名前でおひとりさま劇団だったんですけど、桐朋祭は1年生は企画出してもなんたらって言われて腹が立ったから、スペース桐朋でやった。その年の冬にもアトリエで公演を打って。
白石さん :私その次の年にその企画書を鈴江先生に渡されて、「おまえ外でやれ」って言われて。こういうやつがお前の上にいるから、企画してみって言われてそこで初めて晟雄を知った。誰?大石って。
大石さん :そうなんだ(笑)。だからそうですね、在学中には桐朋祭2回と外部で1回。でもやっぱりその時は勘違いしてたから、桐朋で照明部に入ったのも音響はパソコンで出せるし、台本書いて演出して、あとは照明の知識があればなんかとりあえず何とかなるだろう、全部署自分でやればいいだろうと思っていたから。めちゃくちゃだった。晴天が出来たのは、在学中この中で売れるのは1人か2人だって言われたことへの怒りだったり、進路がなかったっていうのもあるだろうし、割と衝動的だったかも。
白石さん :戻っても同じ道に進むと思うよ。
大石さん :かもしれないね。野心があったか。旗揚げがせんがわ劇場だしね。
白石さん :そこも、きっと変わらないと思う。

――立ち上げから、今の劇団晴天が出来上がるまでにはどんな経緯があったんですか?

大石さん :最初は短大の同期で旗揚げしたんですけど、劇団ひとりになりまして。
白石さん :それは何年目なの?
大石さん :卒業して2年目の秋くらい。それで冬公演のせんがわ劇場をキャンセルしたの。
白石さん :じゃあ、その解散騒動の半年くらい前に私は初めて晟雄の芝居に出た。
大石さん :演技発表会でのマクベス夫人、五大学(※東京演劇大学連盟)の『わが町』を観て、五大学なんて三幕花子のためのシーンじゃんってなってオファーしました。
白石さん :あれはね、いい役だったんだよ。
大石さん :いろいろあって、花子に出てもらった公演は劇団員にあまり出てもらわない、プロデュース公演みたいな形にしたんですよ。……で、おひとりさまに戻ってからは劇団としての活動はあまりやってなくて。それこそ花子に短編の演劇祭に出るから本を書いてくれみたいな話をもらってやったりとか。
白石さん :そう。私に話が来て、でも私書いてないからどうすればいいのって思って、晟雄いいじゃんって。その時20分程度のいじめの話を書いてたんですけど、超重いし、超書くの遅くて。びっくりするくらい遅くて。そういう風に関わりが始まっていたって感じかな。
大石さん :その時は花子主宰の劇団に俺が書くっていう形でね。
白石さん :その次の晟雄一人劇団の公演からほぼ全部出てる。

――一人劇団時代は気持ち的に変化はありましたか?

大石さん :気楽ですね。今の劇団になるのも私は本当に集団にするの?ってなるくらい、集団って難しいし、なんか、責任取らなきゃって気持ちになるし。って考えすぎちゃう。

――はじめに鈴木彩乃さんだけ劇団員になりますね。

大石さん :私結局誰かのために頑張る人間だったんですよ。なので私からお願いしました。仲間になってほしかった。
白石さん :後から聞いたの。「一人で劇団員になるなんて大変じゃん。どうして?」って。そしたら、「何もしなくていいって言うから」って言ってた。
大石さん :まじでそのとおり。「劇団員になって何か変わる?」って聞かれたから「名前の後に(劇団晴天)ってつくだけ」って言ったら、「じゃあいいよ」って言ってた。何もしなくていいから籍を置いてほしいと思ってた。それでしばらくやってたら、その時花子は民藝に入っていて、5年務めたから辞めるから、劇団晴天に入るから、と。で、仲間を引き連れてきて。こんなに嬉しいことがあるのかって思った。あとから冷静になって本当に集団にするのか……?って悩んだんですけど、やってみよう!と。

――わりと花ちゃんの……

白石さん :独断。

――(笑)

白石さん :でもこれは、初めて晟雄の舞台に出た時に父親に言われたんだけど、お前の芝居めちゃくちゃよかったと。今までで2トップに入るくらい良かったと。私も自覚してたの、これめっちゃいいって。でも、これはお前の力もあるかもしれないけれど、あの本を書いた彼に才能があるからだって言われて。そうなんだって思って(笑)そこから様子を見ようと思って、だから彼がやるものに関しては目を向けるし出てみようと。ネクスト辞めて、どうしようかなって思った時に脳裏には晟雄はいたんだけど、まだだなと思って民藝入ったの。で、民藝に入った時に母親に、「30まで勉強しろ」って言われたから、勉強……って思ったけど、何もしてないけど5年いたの。で、晴天に入るにあたって、晴天を強くしようと思って、彼の補強を考えて一人一人に電話して。デニーズに晟雄呼んで。

――突然……?

大石さん :突然だね。「私がキャスティングをして、この子がプロデュースして……、こういうことを考えた結果私たちは劇団員になりますのでよろしくお願いします」と。
白石さん :鈴木彩乃にも事前に話して、晟雄だけ知らない状態。

演劇専攻47期卒業公演『ブルーストッキングの女たち』より

演劇専攻47期卒業公演『ブルーストッキングの女たち』より

ブラックな笑いがめっちゃウケるんですよ、島根のじいちゃんばあちゃんに。多分、テレビドラマくらい距離が離れてるんだと思う、演劇が。


――新生劇団晴天として印象に残っている活動はありますか?

大石さん :島根!
白石さん :島根良かったね!
大石さん :それこそ卒業生で元SCOT俳優の竹内大樹さんが今島根の温泉津観光大使をされていて、演劇祭をやりたいと。だけど、進めるためにはとりあえず1回やってみないと現地の人がお金を出せるかわからないと。石見神楽しかなくて、現代劇をやる人たちはいないから、現代劇のイメージがないということになって、
白石さん :だから、プレ公演をやることになったんだよね。
大石さん :1週間前まで下北沢でやってた舞台がコンパクトだし、そのまま島根に持っていけるね、ってなりまして、島根の古民家で公演したんですけど、よかった。
白石さん :ちょっとした笑いの演出だったりセリフって、東京だとお客さんがちょっと斜に構えてるから、緩んでても笑わなかったりする。「ふふっ」くらいで。でも島根の人は「はっはっは」って笑うんだよね。
大石さん :ブラックな笑いがめっちゃウケるんですよ、島根のじいちゃんばあちゃんに。多分、テレビドラマくらい距離が離れてるんだと思う、演劇が。東京だと客層も若いし、自分と重ねてみちゃって、こっちとしては笑ってほしいシーンでも重くなっちゃうことがたまにあって。島根では狙った笑いが全部とれたんだよね。客席が50キャパくらいでも超満席になって。
白石さん :凄かった。晴天の未来を変えるというか。お客さんもちょっと喋るんだよね。「あれは、ここにいるってことはこういうことなのかしら?」みたいな芝居に関係する話をするのよ。島根用に相関図とかも用意していったんだけど、人が登場するだけでいちいち確認してくれるの。面白かった。
大石さん :今後も地方公演が出来ればいいなと、予算が立てば……、立たないんだけど。
白石さん :帰ってきて劇団になりますっていう発表を5月にしようとしてたら、コロナで延期したよね。公演自体は次11月って決めてたから、うまいことすり抜けてできたね。
大石さん :個人で言ったらたくさん仕事は飛んだけどね……。

――卒業して苦労したことってありますか?

大石さん :横の繋がりのなさとか……?僕らは学生劇団ていう括りには入ってないから、作演としては小劇場界隈から離れたところにいて、新劇界隈からも離れたところにいて、どの界隈からも離れたところに一旦いるなって思う。最初せんがわ劇場があったからよかったけど、それぞれの住んでる場所のことは知らないままいくだろうなと。
白石さん :主宰だとすごくそれを感じるのかもしれないですね。俳優はプロデュース公演があればオーディションを受けて、そうすると、小劇場の人も新劇の人も商業の人もいる世界でやるけれども、主宰はそうはいかないもんね。
大石さん :王子小劇場に入ったからそう感じたのかもしれない。学生劇団のこと何にも知らないなーって。

――花ちゃんは何かある?

白石さん :(大石さんは)本書くのがめちゃめちゃ遅いんですよ。
大石さん :年々遅くなってる……
白石さん :そう、年々遅くなってて、毎公演、駄目だぞって言うタイミングで怒ると、書けてないっていう罪悪感で心が弱ってるから、耐えられなくて泣きわめいたりするから、
大石さん :さ、最近はないよね?
白石さん :最近はないけど、やっぱりグッてなっちゃうから、そういうのを乗り越えて書いてるんだけれど。

――晟雄さんは今まで会った方の中で一番寿命を削って書いてる気がします……

白石さん :そう!
大石さん :(書いてるとこを)見たことないでしょ!

――イメージです(笑)いつも苦しんでないですか?

大石さん :苦しいのは苦しいんですけどね……
白石さん :でもね、うちは創作過程が面白いから、そこを見てほしい。
大石さん :どんどん健全になっていこうという試みはしてるから。

――健全になっていってるんですか?

白石さん :なってない、まだ!(笑)
大石さん :テスト中(笑)。でもね、書くのが遅いっていうのは罪が重すぎるので、早く辞めたい。ちゃんとしたい。どんどん遅くなってるけど……昔の方が思い込みが強かったからためらわなかったところがあると思うんですよね、最近は引いて見た時に、選択肢が増えたのかな……。

――書くものにも変化が出てますか?

大石さん :そうですね。コントを混ぜたやつが最初期で、そのあとにちょっとリアルな方に行って。その後エモ感動な感じに進んで、今ではその匂いが鼻につくようになって、ブラックコメディ寄りになってますね。なんか、そんな感じです。
白石さん :頑張ってますね、すごく。

――晟雄さん自身にも変化が?

大石さん :していると思います。越光先生がいちばん最初の授業で言ってたことなんですけど、紙に丸を書いて、もう一つ大きな丸を書いて、自分の成長のたびに触れる世界はどんどん広がっていくから、分からないことがどんどん増えていくけど、それは間違えてるわけではなくて、それは自分の成長なんだみたいなことを言っていて、それはときどき思い出しますね。30を手前にしていろんな迷いがあります。今の演劇の未来が商業にしかないのだろうか?とか、小劇場作演のゴールがドラマの作演にいくのはどうなの?とか。すごろくのあがりがそっちに行っちゃうのは自分的には考えられず。すごろくって考え自体も今は少ないですよね。挙げきれないくらい今、どう進もうかと思っていて。その結果まずは集団をやってますね、コンスタントに舞台をできればいいなと思っています。

――今アルバイトってされてるんですか?

白石さん :してます。ばりっばりしてます。今日も出社します、この後。私が俳優として劇団以外の芝居出て、お金貰えれば違うんでしょうけど、私劇団と結婚したくらいの気持ちでいるから、外の活動はあまり重要ではなくて。個人で売れるよりも劇団で売れたい。だから今、アルバイトと劇団の活動をしてます。

――今後は?

演劇専攻46期試演会『パンドラの鐘』より

演劇専攻46期試演会『パンドラの鐘』より

学生だから難しいかもしれないけれど、自分が舞台に出るうえでの自分の最低価値を決めとく必要があると思っていて。


――桐朋学園のいいところは?

白石さん :泥臭く、アナログなところ。
大石さん :複数の演出家がいるところ。
白石さん :トータルすると一緒だね。
大石さん :一人がトップだと、妄信的になれちゃうみたいなところがあると思っていて。先輩とかに対して。でも桐朋だとそうはいかない。こっちの授業でこうって言われたことがこっちの授業では違うって言われたりするので、総合的に演劇というものに伝わるもの、たくさんの視点から普遍的に物事をとらえることが出来るようになるかと。
白石さん :うちの学校って強制感が半端ないじゃん。気持ち関係ないじゃん、私たちの。八ヶ岳合宿なんて行きたくないって思っても、圧がすごいじゃん。これ今の時代どうなんだろうと思うけど、私はそれでいいと思ってる。普通に生きてたらそういうことばっかりじゃん。寝ても寝なくてもいい!みたいなさ。ちょっとでもひねくれたらやっていけなくなるし、道を見失ってしまうから。本当に古い教え方ではあるけれど、演劇はそれくらいやらないと無理じゃね?って私は思う。私はその教育で今の自分があるから、私はそれで良かったと思う。今っぽくない感じ?
大石さん :あと、私は途中から自分が作演になる気がしていたので、自主稽古で演出の経験がたくさんできました。
白石さん :自主稽古ってすごく俳優の勉強になるよね。
大石さん :卒業してあんな時間は取れないよね。
白石さん :一生取れないよ。

――今っぽい演出ってどういう?

白石さん :ダメ出しをダメ出しって言わないことじゃないですか?
大石さん :最近は“フィードバック”とか“振り返り”が多いかな?
白石さん :うちの替え言葉言っていいですか?“思いの丈”(笑)
大石さん :何年か前に“ダメ出し”って言葉を使わないようにしようみたいな流れがあって、最初は“ノート”にしてたんだけど、思いの丈に……。
白石さん :これ超面白いと思って。説明を自分で色々してから、思いの丈って言いだして。だからみんな楽屋で、「晟雄の思いの丈始まるよー」って。
大石さん :昔の演出ってなんだろうね、演出というか、運営だよね。
白石さん :だから、あれじゃない?椅子投げたり、灰皿投げたりとか。そんなことしたって芝居は良くなんねえよっていう話じゃない?
大石さん :緊張感で良くなるっていう可能性はあると思うけど、私はやらないな。
白石さん :でもそれが一般的にいいかというと、そうでもないよねっていう。それが今の流れというか。それをもっともっと柔らかくしたのが今というか。
大石さん :若い学生がそんなふわふわやってるかって言ったらさ、実は結構ぎゃんぎゃんやってるかもしれないしね。どちらにせよ、価値観が多様化してる感じがしますね。
白石さん :どちらかというと役者の方が怒ってるね。

――選択肢で迷った時ってどのような基準で決めてますか?

大石さん :一番は、なんとなく。厳密に全部考えると何もできなくなるから、考える前に飛び込むっていう。毒も薬も飲むぞって気持ちでやってましたね、学生時代は。最近は、無理なものは無理と言わないといけないなって気持ちを持ちました。後輩たちには、俳優になるならもっと考えた方がいい、って伝えるかなあ……。早く事務所入った方がいいし、私は桐朋にいる間から、さっさと若いうちにどこかに入った方がいいと思っています。その時にしかできないことがあるから。将来性は買ってもらった方がいい。とはいえ、判断能力がないときにそういうところに入るっていうのはリスクでもありますよね。
白石さん :たとえば女優がそういうことで悩んだり決めたりって時に、学生だから難しいかもしれないけれど、自分が舞台に出るうえでの自分の最低価値を決めとく必要があると思っていて。来たもの全部受けてたら、生活できないし心も苦しくなると思うし、演劇嫌いになっちゃったりとかするから、自分の中のルールを決めるのが大事だと思う。
大石さん :俳優よりスタッフの方がお金が回ってるんですよ。でも俳優が一番拘束時間長いんですよ。だから、必然的に本数も減る。
白石さん :だから、オファーが来た時に最初に提示していった方がいいと思う。強い意志。自分がどれくらいの価値があるか自分で決めないと。決めてもらおうと思ってたら死ぬ。

――それを卒業するときに思ってたんですか?

大石さん :花子は3年遅く入ってるからね。
白石さん :1回外でやってるっていうのと、両親が現役で続けてるからその世界で戦ってる人を見てるから。その中でどうやったら現代の演劇、しかも自分のやりたいことをできるか。失敗もいっぱいあります。でもその中で、自分の条件っていうのをアップデートしていく感じ。卒業するタイミングでも思いましたね。だけど、失敗しないと見つけらんないかもしれない。
大石さん :信頼できる人を一人見つけられるといいよね。基本的には自分のことは自分で決めるが、信頼できる、知識がある人を手に入れとくのはいいかも。
白石さん :それは同級生でもいいと思う。
大石さん :ここって、やばいところですか?って聞かれたら答えられると思うし。19、20歳って情報が足りないから、情報を持ってる人と会えるといい気がする。判断は自分でするしかない。研究室助手でもいいし、先生でもいいし、フル活用するといいんじゃないかな、知識の面では。
白石さん :可能性の幅が広がるよね。
大石さん :事務所だと場所によるけど、案件が来るので。ある程度守ってはくれるし。まあ、そんなこと言ってるけど、いい思い出のある場所にもそうじゃない場所にもいたし、自分で集団立ち上げてるんですけどね。
白石さん :若いからさ、駄目ならやめればいいし。自分と合うところを見つけられればいいよね。

ある程度しんどいじゃないですか、だからやっぱり自分で選ぶっていうのが大事なんだと思います。


――中高生へのメッセージをお願いします。

大石さん :コロナも含めて、演劇に夢を持ちづらいなって思ってるので、私たちが頑張って開ければいいなと思ってます。クリエイターとしてだけではなく、劇場とか、文化的なものを閉ざさないようにすることが必要かなって思う。でもさ、ある程度しんどいじゃないですか、だからやっぱり自分で選ぶっていうのが大事なんだと思います。いろんな未来があったかもしれないけれど、自分で選ぶのが大事。
白石さん :世界って広いじゃん。学生だったり学校という場所がさ、その人の社会でそこがすべてに思える、でもそれって一瞬だから。自分がどうなっていきたいかとか、極論を言えばどう死にたいかだから。そこに目を向けた時に、今起きてることって、一瞬。一瞬で終わる。しんどかったらすぐ終わるって思ってほしいし、楽しいって思ってたら、それ一生じゃないからねっていう気持ちを持ちながら。今目の前にあることを一生懸命やるための場所としては、桐朋はいい場所だと思います。演劇をやるなら。演劇やらないならここじゃなくていい。
大石さん :そうだね、演劇やらないならここに来てもね……。でも、演劇を昔やってた、って人が増えるのもいいことだとは思うけど本人がよければ。私バスケ部だったからバスケやめてもバスケ好きだし。

劇団晴天 次回公演

劇団晴天の『曇天短編集』vol.3「雨が止むのは知ってます」脚本・演出:大石晟雄
2021年11月25日(木曜日)~12月5日(日曜日)上野ストアハウス

止まない雨がないことも、6秒待ったら忘れることも、優しい嘘があることも、自分らしく生きた方がいいことも、知っているので、せめて少しでも、憂さが晴れる短編集。

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