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活躍する先輩たち

演劇専攻卒業生インタビュー 43期 周本絵梨香さん



何かを教わるつもりではなく、進路に使えるものを吸収する気持ちで

在学中に蜷川幸雄主宰のさいたまネクスト・シアター1期生メンバーとなり、2010年に芸術科卒業後、すべてのネクスト公演ほか、数多くの蜷川作品に出演されている周本絵梨香さんにインタビューしました。
周本絵梨香(Erika SHUMOTO)
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻43期卒業生。
琉球大学在学中に役者を志し、蜷川幸雄主宰の『さいたまネクスト・シアター』設立オーディションで1225名の中から合格し1期生メンバーとなる。
2009年さいたまネクスト・シアター旗揚げ公演『真田風雲録』で初舞台。その後、全てのネクスト公演に参加。 そのほか蜷川作品の多くに出演し、『海辺のカフカ』岡持節子役、『尺には尺を』マリアナ役、『NINAGAWAマクベス』マクダフ夫人役など重要な役どころを務め、ロンドンバービカン・センター、ニューヨークリンカーン・センターをはじめとする海外公演に多数参加。
近年では岩松了、藤田俊太郎演出舞台のほか、ドラマ『きみが心に棲みついた』『教場』『24JAPAN』『真犯人フラグ』映画『閉鎖病棟』『あゝ荒野』NETFLIX『火花』など映像へも出演がつづく。

蜷川幸雄演出『尺には尺を』より

さいたま芸術劇場にて

素人なので可能性を見出せないから、部活の延長みたいな感じに見えていて


――高校時代は何に熱中されてましたか?

周本さん :桐朋短大に隣接している桐朋女子(中・高等学校)に通っており、中高6年間ダンス部に所属していました。ダンス部に入りたいから桐朋を受けたほどで、勉強そっちのけで熱中していました。
幼少期に母に連れられて劇団四季の『CATS』を観てから、舞台やダンスや歌への憧れがあったのですが、当時の私にはスクールに習いに行くっていう概念がなくて。どこで習うんだろうと思っていたんです。その最初の入り口が、ダンス部に入ることでした。

――そこから一度琉球大学に入学していますね。大学では何を専攻されたんですか?

周本さん :教育学部の自然環境教育を専攻していました。
高校の時に将来の夢がいくつかあって、 そのうちの一つに演劇もありました。でも大学受験は今この流れを逃したらもう一生やらないかも、演劇はいつでもできるから、とりあえず大学へ行こうと部活を引退した高3の9月から受験勉強を始めました。動物がとても好きだったので、獣医系の大学……、でも獣医師は今から私の頭では無理だなぁと思い直して(笑)動物看護士などを視野に入れつつ、いつか絶滅危惧種の保護に関われたらいいなと思い、琉球大学に進学しました。

――大学に入られて、初めてミュージカルをされるんですよね。

周本さん :隣の女子校にいたので、桐朋短大の学生が外で演劇の練習をしているのが毎日見えるんです。正直に言うとそれがもうすごく恥ずかしくて……(笑) 素人なので、可能性を見出せないから部活の延長みたいな感じに見えていて。ここから有名な俳優が出ることはあるんだろうか。なんて偉そうに思っていました……数年後自分もその一人になるんですけど(笑)
小さい頃に観た『CATS』が鮮烈なイメージとして残っていて、あの世界に近づきたいと心の底で思っていたけれど、“俳優って学校で教わってなれるものではないんじゃないか”と漠然と思っていて。いつか演劇はやってみたいけど、そんな思春期の拗らせから桐朋短大には行きたくないって思ってました(笑)

そんな思いを抱えたまま、琉球大学に入って間もない4月、音楽教育の授業でミュージカルの出演者を募集していました。授業なので単位が出るからと、オーディションを受けてみました。その授業は琉大の教授が行っているのですが、沖縄に舞台芸術を広めたいという強い信念を持った先生で、生オーケストラで1000人キャパの劇場で行うとても本格的な舞台制作でした。
沖縄は琉球芸能が盛んで、独自の芸術文化が発展している素晴らしいところですが、その一方でほかの演劇文化が入って来にくいところがあったように感じました。先生も同じ思いだったのかも知れません。琉大ミュージカルと呼ばれているその授業のOBには、ブロードウェイ初演『RENT』のオリジナルキャストである高良由香さんや、ディズニー・アニメーション映画『モアナと伝説の海』主人公モアナ役の吹き替えを務めた屋比久知奈さんなど、現在活躍している俳優さんがたくさんいるので、先生の熱意と功績はすごいなぁと思います。

蜷川幸雄演出『海辺のカフカ』舞台稽古

岩松了演出『雨花のけもの』稽古前のひとこま


――その実習に参加したことで、気持ちに変化が?

周本さん :その授業が楽しかった分、他の授業がとてもつまらなく思えてしまって。この分野の勉強を私は頑張れない、と2年次に入って気づきました。やりたいことのうちのひとつだったけれど、これじゃなかったんだ……と。休みの度に東京に戻っては、バーッっと一気に観劇するようになっていて。そこで、やっぱり私は演劇に興味があるんだなぁと思うようになりました。東京なら大学に行きながら演劇に関わる事は可能だと思うのですが、沖縄は観劇ができる環境も多くはありませんでした。でも自分に演劇の才能があるのか分からない、将来の危険性は理解していて、才能があったらやりたいけど、ないかもしれないから決め打ちはしたくないなあと思い、大学を休学して劇団なり学校なりを受けてみようと思いました。
桐朋短大の入試のとき、「大学を休学してきました、こっち受かったら辞めます」と一応言ったんですよ。そしたら越光先生に「ここ来ないで大学卒業しなさい」って言われたのを覚えています(笑)

――桐朋にはあまりいい印象を持っていなかったと思われますが、それを超える決定打みたいなものがあったのですか?

周本さん :まずは学費です。2年間で卒業できるのはお得だと思います。調べたらやっぱり一番安いと思いました。現役生と2年ラグがあるなか、ここから4年は長いなと思って。
学校に行く目的は情報収集が一番でした。世の中にオーディションはいっぱいあるけど、何も知らないので何も判断できない状況。どう間口を広げていったらいいか全く分からなかった。劇団四季だけは知ってる、だからと言っていきなり劇団四季受けても受かるわけないだろうしなぁとか、文学座とか俳優座とか調べてみると色々あるんだなぁ、と。それでも判断がつかず悩みました。最後はタイミング的に桐朋の受験日が都合が良くて、短大卒も貰えるからと桐朋に決めました。

“俳優は教わってなれるもんじゃない”という漠然とした思いが、入ってから確信に変わったんです


――大学に入ってすぐの桐朋の印象を教えてください。

周本さん :やりました、校舎の外で演劇の稽古。女子高生に冷ややかな目で見られながら(笑)
最初の授業で食事をするシーンワークがあって、クラスメイトが何も持たずマイムで演じたんです。すると終わるや否や、先生が「何でお椀と箸を用意しなかったんだ。食堂に行けばすぐ借りられるのに。なんでそのシーンを作るのに用意しなかったんだ」って仰って。いや、知らないよ!っていうのが1番最初の記憶です。私も用意してなかったので、先に言ってくれればいいのに!って。そんなところからスタートしました(笑)
私の時は入学時からストレートとミュージカルとダンスでコースが分かれており、受験結果で振り分けられ、私はミュージカルコースに入っています。いろんな授業があって楽しかったですね!ただ、大学生活をエンジョイしたいわけではないので、自治会や文化祭などの行事からは距離を置いていました。一度大学に行っているので、大学生活に期待がなかったのかもしれませんが、あくまで情報収集に学校を使うといった姿勢でした。学内にあるオーディション掲示板が命で、毎日必ず見ていました。学校に貼ってあるオーディションならまともだろうと(笑)
というのも、高校時代から感じていた“俳優は教わってなれるもんじゃない”という漠然とした思いが、桐朋に入ってから確信に変わったんです。誰かが教えてくれるものだと思っていたら、永遠に先へいかない。

そういえばある日、蜷川さんが授業で、「おれの家電ここに書いとくから、稽古場来たい奴きていいよ、電話して」って黒板に電話番号を書いたんです。その日、帰ってすぐに電話しました。すると蜷川さんの声で「はい、蜷川です。」って。緊張して話し始めようとしたら、留守電でした。自分の声を吹き込んでるタイプです!ドッキドキしました(笑)そして、「桐朋生の周本というものですけど、稽古場に行きたいです」と、それから自分の電話番号を言ったら、翌日電話がかかってきて。「演出助手の藤田俊太郎につなぐから稽古場見に来ていいよ」って。
その時はちょうど大和田美帆さん主演の『ガラスの仮面』の稽古中でした。言われた日にさいたま芸術劇場へ、稽古場に着くと桐朋生が他に4人いました。蜷川さんは、「ああやって電話番号書いたけど、君たちだけだから」って。「まぁ、そういうことです」と。

小川絵梨子演出『作者を探す六人の登場人物』
オフショット

『海辺のカフカ』楽屋@仏国立コリーヌ劇場


――その後、在学中にネクストのオーディションを受けて合格されていますね。

周本さん :1年次の冬に受けました。学校の掲示板にバンっ!と出てて、かなりの桐朋生が受けたと記憶しています。結果一期生として合格した44人中、学内ではストレートプレイの同期が一人、1つ上の42期で、現在パーカッショニストとして活躍している荒川結くんがいました。

――オーディションを経て学校生活は変わりました?

周本さん :変わりました。朝、学校で授業を受けてから13時00分から稽古があるので午後は劇場へ行くか、必修は落とせないので稽古に遅れて行くか。埼玉と仙川を行き来してました。
授業を休んで稽古に行くことも多かったですが、蜷川さんは桐朋の学長だったこともあって、「明日は来なくていいから学校行きなさい」と。私は単位が足りなくなっても稽古に行きたかったですけど「卒業できなかったら親に申し訳ない、学長だから(笑)」と気にかけてくれていました。そんなこともあって、初舞台の『真田風雲録』では現場の空気を学ぶくらいしかできませんでした。それでも、初めての現場は何もかも新鮮で緊張していましたね。

――ネクストの旗揚げ公演前の7月、実技公開試験に出演されてますね。

周本さん :ダンスなど覚えなきゃいけないものは大変でした。ジャズダンスの(三村)みどり先生の振り付けが難しいんだもん!(当時の資料を見ながら)狂言は相手役がネクストに一緒に入った子だ~!先生が配慮してくれていたのかな……。
この頃はネクストも発声練習や日舞の稽古など、稽古前レッスンが多くて、まだきつくなかったんです。ネクストの本格的な活動が始まったのは実公のすぐ後です。試演会は丸かぶりなので出演していません。

衝撃だったのは、ネクストシアター旗揚げ公演『真田風雲録』が終わったあとに、メンバーの半分がクビになりました。“公共劇場がプロの俳優を育てて輩出し、そこにお客さんが集まってくるのが理想の形なんじゃないか”というのが蜷川さんの考えです。公共性を持って演劇を普及し活発化させたいという想いがあったので、 ネクストにはそれが課されていました。『真田風雲録』は、一度でも蜷川作品に出ればキャリアになるみたいなことでオーディションを受ける人がたくさんいたと思います。その考えは当然だし重要なことだと思うのですが、蜷川さんがやりたかったことはそういうことじゃなかったんですね。若者に演技を勉強してほしいと思っていて、訓練された俳優を世に出したいと思っていた。おそらくオーディションの段階ではそれって量れなくって。メインキャストを努めた人も、公演を打つ為に即戦力として必要だけれど、自分が育てて自分の教え子として世に出ていくような性質ではないとか、今考えるとあくまで憶測ですけれども、そのように色々と判断したのだと思います。

――それは公演をしていく中でも審査されてふるいにかけられていくよっていう前提のものだったんですか?

周本さん :いえ、何の知らせもなかったんです。本当に突然、もう来なくていいですっていう手紙が家に届くみたいです。何が基準かも分からない。真田でメインについていたメンバーが軒並みいなくなり……いい役についてなくてよかったのかもと思ったほどでした。けれど桐朋の同期もその時退団してしまったので、基準はやっぱりわかりません。
ただ、旗揚げ公演が終わってからは、ネクストはとにかく稽古場にいろと言われて。4~6時間、稽古場の隅でずっと体育座りです。ただの見学者なので台本はもちろんもらえません。まず稽古場に入ってやることは、誰か優しそうな出演者やスタッフを見つけて仲良くなって台本をコピーさせてもらうこと(笑)蜷川組常連の先輩や演出助手、制作さん、 誰でもいいから「お前台本ないのか」って言ってもらえる人を作るところから始まって。そこからほとんど桐朋に行けなくなりました。見学させてもらっている稽古場を学校の時間だからと好き勝手抜けるわけにも行かないですし、自分もチャンスを逃したくなかったから。稽古場にいると、突然代役を任せてもらえたりするんです。もう卒業しなくていいやって思ってある日蜷川さんに言ってみたら、「それはまずいから卒業してくれ」って(笑)「卒業公演も出ていいぞ」って言われたんですが、自分の意志で、卒業公演よりもネクストとして稽古場にいることを選びました。最終的には、卒業公演の代わりに他の課題をこなし無事卒業しました。協力してくださった先生方に感謝しています。

――桐朋で学べてよかったことはありますか?

周本さん :私、桐朋でスタッフワークを学べたのがすごく良かった!って推したくって。舞台制作の俳優以外のセクションを知るのってとても重要だと思います。俳優だけやっていたら自分と無関係のものに感じるんじゃないかなと。そういうものが存在してるって気づくことすらないかもしれない。プロデュース公演という恵まれた環境では、俳優は演技にだけ集中すればいい、スタッフワークにはノータッチで進みます。私の周りはプロデュース公演で育った人が多いので、スタッフの大変さや仕事内容が想像できていないのかも知れないなと思うことがあります。私も全く想像がついていなかったから、桐朋に入って衝撃でした。まず、先輩の舞台の“仕込みバラシ”から始まったので。
俳優として出るとき、照明や幕、小道具やセットという存在があって、その奥に仕事をしてる人がいることを思うだけで、舞台での在り方が全く違うと思っています。その分、俳優は演技に期待されているので超頑張らないといけない(笑)蜷川さんの現場で、素晴らしい俳優さんの生き様を沢山見せて貰いました。特に主役を担う方々の気遣いは本当にかっこよかったです。スタッフさんがどこでどんな仕事をやってるのか頭に入っていることが、細やかな気遣いになるのだと思います。 例えば当たり前にもらえる台本も誰かが印刷したもので。そういう人でありたいなと常々思っているので、スタッフワークの存在を体感させてくれた桐朋にとても感謝しています。

それから、桐朋って俳優になること以外をすごく勧めてきませんか?演劇で学んだことは営業職でも活かせるからとか、素敵な考え方だなと思います。人生の分岐はどこにあるかわからないから、演劇で学んだことを幅広く人生のなかで考えるってとてもいいなぁと思います。スタッフワークの経験を活かしてスタッフさんになる方が多いのも、桐朋の特徴ですよね!現場で先輩や後輩に会うととても嬉しいです。

藤田俊太郎演出『東京ゴットファーザーズ』開演前

『東京ゴットファーザーズ』楽屋にて

作品に対して自分がいかに真摯に向き合ってるかを常に精査されている、俳優としてこの先どうなっていきたいか、そういうことまで見透かされる稽古場


――卒業して苦労したことを伺っていこうかなと思います。

周本さん :まず、蜷川さんの仰る言葉が分からなかった。「『勝手にしやがれ』だよ!あーゆう風にやるんだよ」とか、 映画に興味がなかった私はタイトルすら聞き取れなかった。伝説的な作品だということも全く知らなかったから、とにかく毎日、今言ったやつ聞き逃さないようにしなきゃ!ってメモするんですけど、大概怒鳴っていたりして(笑)聞き取りが難しいんですよね。ある時『灰とダイヤモンド』という作品がでてきて、全部カタカナで「ハイト・ダイヤモンド」だと思ってたんです。検索しても出てこないんですよね。誰も教えてくれないんです、知っていても情報をシェアしない。学校だったら私買ったからみんなで回して見ようとなるところが、みんなライバルなので、キャッチできないとそこでもう出遅れるみたいな雰囲気がありました。“灰とダイヤモンド”にたどり着くのに時間がかかって。漢字だったんかい!そりゃ出てこないわ!と。もう知らないことだらけです。カオスとは混沌だとか、スラングとしては分かっても、大人の使うカオスってなんだ?とか。そういう言語が理解できなくって。本の名前もとにかく出てくる、純文学からエッセイまで。純文学って読むのに時間がかかるじゃないですか。毎日情報量がすごくて、それを処理するのに必死でしたね。毎日6時間ぐらい稽古見学してそれ以外のところは得た情報をどれだけ吸収するか。真面目にすべてこなしてたかと言われるとそうじゃないけれど、見なきゃいけないものが大量にあって、まずそれを入手できるようになるまで1年(笑)、2年目からある程度分かるようになり、そこからようやく演劇の世界に踏み込めた感じです。

――『真田風雲録』の次にご出演されるのは?

周本さん :『ガラスの仮面2』ですね。1年次に見学で観に行った作品の続編。ネクスト内でオーディションがあり、合格して出演しました。何年も稽古見学だけだと辞めちゃう人も多かったので、割と早い段階でプロデュース公演に出させてもらったのはラッキーでした。

――蜷川作品は毎回オーディションで勝ち取っていった感じですか?

周本さん :プロデュース公演の稽古で代役をやったり、小作品を作って蜷川さんに観てもらったり、毎日がオーディションのような日々を重ねて、少しずつ呼ばれるようになっていきました。最初の頃は出れてもアンサンブルだったんですけど、月日を重ねていくうちに大事な役を任されるようになってきて、俳優だと認められたような気がしてとても嬉しかったです。

――周本さんが初めてプロデュース公演に呼ばれたのは何になりますか?

周本さん :清水邦夫さん作、窪塚洋介さん主演の『血の婚礼』です。2011年、2年目のときですね。

――役として呼ばれるようになってきて、自分の役者としての変化とかってどういう風に感じてました?

周本さん :自分の中でひと公演ずつ明確に得たものがあって。『真田風雲録』の時、稽古で一度だけ台詞を言わせてもらえたんですけど、顔が真っ赤になっちゃって手も震えちゃうし、声は裏返るわで、何よりも緊張でセリフを忘れちゃう!学校でやってた時と緊張感が全く違う……いままで台詞を覚えたと思っていた状態は、覚えていなかったんだと知りました。『美しきものの伝説』では松井須磨子役をやらせていただいて、歌うシーンがあったんです。人前で歌うことがこんなに緊張するんだって。学校ではなんともなかったのに、知らない人がお金払って観に来ているものに対してこんな私の歌でいいはずがないと(笑)どれだけ練習しても本番で声が震えなかったことがなくって。けれどその公演を終えて、また別の公演で歌を使う時には声が震えなくなっていて、すごい!経験って!とびっくりしました。そんな風にちょっとずつ自分の中に成長を感じてました。ただ、役に付けたとか公演に呼んでもらえたとか、その瞬間はうれしいけど、次の瞬間降ろされたら終わり、嬉しさの次にはすぐ危機感がありました。その感覚は蜷川さんがいなくなった今でも残っていて……刷り込みです(笑)

米リンカーン・センター『NINAGAWAマクベス』

『NINAGAWAマクベス』舞台稽古

『NINAGAWAマクベス』楽屋にて

『NINAGAWAマクベス』楽屋にて


――蜷川さんがお亡くなりになった時の心境をお伺いしてもいいですか?

周本さん :1番に思ったのは、そうですね、面白い演劇がなくなっちゃうのかなって。自分の今後とか、そんなことは全く考えませんでした。身近な人ではあったけれどそれ以上に、とてつもない才能がこの世から消えてしまった、というショックが大きかったです。そのあと、蜷川さんが演出するはずだった作品『海辺のカフカ』『蜷川マクベス』『尺には尺を』『1万人のゴールドシアター』の全てにたまたまキャスティングされていて。ワールドツアーで外国も沢山回らなければいけなかったし、大切な役を任せて頂いていたので、蜷川さんの教え子としての勝手な責任感があってとにかく必死でした。けれどそのおかげで、もういないんだ、じゃあどうしていこうかと、全てが終わるまでに2年をかけて心を整理できていったように思います。

――稽古場にも変化がありましたか?

周本さん :蜷川さんの現場はなんて清潔なんだろうっていつも思うんです。対人関係や対外的なことがあまり重要視されない。あくまで作品と自分。それはもちろん良くも悪くもあるとは思うのですが、作品においての純度はとても高かったなと思います。他の現場を経験してわかるのは、蜷川さんの稽古場って作品創りに対するストイックさが常軌を逸してるんですよね。それは、蜷川さん自身が常に世界を相手に一番面白いものを作ろうと闘っていたからだと思います。あの清潔感を維持しなきゃっていう使命感みたいなものが、亡くなった後の作品の稽古場ではありました。あの空気を知ってる自分がちゃんとしないとって、私に限らず皆さん思っていた気がします。

蜷川さんには全てを見透かされてる感じがしていて、日常生活から全てキャスティングに関わってくるような環境でした。お前は今何かものを考えて生きてるな、あるいはそうじゃないな、とか。それは、ここにいるという一つの才能がお前にはあるのに、そのままでいいのか?という蜷川さんなりの優しさみたいなものでした。超怖かったですけど(笑)そういった稽古場の空気は、有名人も無名の若手も関係なく、平等でした。ひとと仲良くすることが最優先ではない、 作品に対して自分がいかに真摯に向き合ってるかを常に精査されていて、俳優としてこの先どうなっていきたいか、全員がそういうことまで見透かされて稽古に臨んでいるような。だから先輩の俳優さんから何かを指導されるということはほとんどなかったですね。指導していたら指導している側が怒られるんです、「おまえ、そんな余裕あるんだ」と……

売れるためには映像が必須、知名度があれば舞台に戻ってこれるだろうと


――現在の活動について

周本さん :残された蜷川作品の公演が終わったら、映像にシフトしようと思っていました。元から映像の事務所には入っていたけれど、売れるためには映像が必須、知名度があれば舞台に戻ってこれるだろうと。現在のユニット第7世代実験室は、映像の仕事を待っている間に、自分たちのタイミングで動かせるものとして場所をつくりました。2020年2月コロナ禍の直前、思えば大変な時期に旗揚げしてしまったんですが、その後の活動は、状況を逆手に取った企画に後押しされたような形で進みました。映像の仕事も先が見えなくなった2020年4月、リモートでシェイクスピア作品を連続ドラマ仕立てに配信する企画をはじめました。第一弾はリモート演劇『リチャード三世』、2回目は閉鎖されたさいたま芸術劇場でワンカメラ長回しで配信する『たかが世界の終わり』、3本目がリモート演劇の続編『ヘンリー六世』です。ダイナナでは俳優の他に企画制作を担当し、同じ志を持った仲間を集めて作品を作っています。

『たかが世界の終わり』本番後のひとこま

リモート演劇『ヘンリー六世』より


――最後に、中高生へのメッセージをお願いします

周本さん :桐朋でスタッフワークを学べた経験はとても大きく、他の学校の俳優コースではあまりないみたいなのでとてもいい経験になると思います。それから外に出て良かったなと思うのは、桐朋生というだけで桐朋生が優しい!あんなに学校行ってなかったのに(笑)ネクストのオーディションを手伝うこともありましたが、やっぱり一度見ただけでは受験者が何者か分からないので、桐朋、日芸、大阪芸大とか、そういったものが自然とその人を把握する要素になってるんだなぁと思いました。

俳優を将来の夢に選択するってとても勇気がいると思いますが、ちょっとでも興味があったら、可能性を試すために学校に入ってみるのもひとつの手かなと思います。そのときは何かを教わる受け身の姿勢ではなく、進路に使えるものを積極的に吸収する気持ちでいると、有意義に過ごせるんじゃないかなぁと思います。

周本絵梨香さん出演情報

YouTube ダイナナチャンネルで、演劇の入り口・拡散を目指して様々な実験企画を配信中!
『リチャード三世』『ヘンリー六世』
作:ウィリアム・シェイクスピア/訳・監修:松岡和子(特別協力)
企画・制作:第7世代実験室/協力:彩の国さいたま芸術劇場

日本テレビ『真犯人フラグ』第11話~出演中

S-IST Stage『ひりひりとひとり』作・演出:石丸さち子
2022年6月10日(金曜日)~19日(日曜日)よみうり大手町ホール

※本記事中の情報等は、2022年3月1日現在のものです。
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